消費者が店を作る・・のか?


おいしいパンを食べたい!と誰もが思わないところには、おいしいパン屋さんは生まれない、ということ。

投票にいった帰り、「お昼ご飯に、パンを買っていきたい」というので、この辺りでは割と気に入っているパン屋によっていった。そこは今まで何度か買っているところで、特にクロワッサンなど基本のパンがおいしい。更に、「カレーパンなんぞ油っこいパンが食えるか!」と豪語していた嫁が、その店のカレーパンだけは「うまい!」といって食べる、そういうお店なのであった。で、今日は今まで買ったことのなかった、甘いお菓子系のパンもいろいろと買ってみたのだけど・・。

ちょっと前に、とある筋(?)からいただいた、とってもまず〜いパンがあったのだけど、それが、実はこのパン屋のパンだったことが判明。クロワッサンなどは実にうまいのに、お菓子系のパンは、実に何というか、「だめ〜!」という感じなのだった。特に、「お店の一番人気!」というメロンクリームパンというやつは、パン生地もダメ、中のクリームもダメ、「なんでこんなもんが一番人気なんだ?」という感じのものでありました。

ちゃんとしたパンは実にうまいことから考えても、この店が「へたくそな店」であるわけではないんだよね。なのに、なんでこうなるのか? 結局、たどり着くのは「お客がそういうものを求めるから」ではなかろうか、ということなのだった。——このあたりは最近家がぼこぼこ建つようになったこともあって、若い夫婦やら小さい子供のいる家庭が急増している。お菓子系のパンというのは、だいたいそういう子供のいる家庭が買うものだろう。そうしたところが、こういうただ甘ったるいだけでパン生地さえきちんと作っていないパンを「甘くておいしい、子供が喜ぶ」と買っていくのだろう。だからこそ、店の人は(不本意ながらも?)「こういうパンが売れるのだ」と作ることになる。そういうことじゃないだろうか。

本当においしいパンが食べたい!と思う人がたくさんいれば、おいしいパン屋さんはおいしいパンを売って成り立つ。が、そういうお客がいなければ、どんなに技術を持ったパン屋さんでも店は続けていけなくなる。結局、つぶれるか、あるいは「みんなが求めるまずいパン」を作るしかなくなる。——いいものを売るところがなくなってきた、そういう声をよく耳にする。が、それはすなわち、「いいものを売って商売にならなくなった」からではないか。それはすなわち、消費者に責任があるのではないか。

片方で「ちゃんとしたものがない。最近、ろくなものがない」と文句をいいながら、片方でろくでもないものを買ってしまう。その行動が、「ろくなものがない」現状を支えているのだ。「ろくなものがない」と思うなら、ろくでもないものは、買わずに我慢し続けるべきなのだ。「ろくでもないものは売れない」という世界を作らなければ、「ちゃんとしたものがちゃんと売られている」世界にはならないのだ。そうじゃないか?

今のところ、ワインとビールに関しては、「ちゃんとしてないものは買わない」ことを貫いている、と思う。ビールはハイネケン、ヱビス、ギネスしか呑まないし、ワインは年に数本に減らしてもボルドーのヴィンテージ品を選んで呑んでいる。ろくでもない色付き水や発泡酒と称する偽ビールしか手に入らないような時代にだけはなって欲しくないと心底願うからだ。これに、パンも含める必要があるかも知れない。なーに、ほんとにまずいパン屋しかなくなったら、嫁の焼いたパンだけにすればいいのだ。下手なパン屋よかこっちのほうがうまいんだから。——千葉市若葉区のすべてのパン屋よ。客を一人失いたくなかったら精進せえよ!

公開日: 日 - 7月 11, 2004 at 06:00 午後        


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