僕の名前は違います


名前を間違えられると怒る人って、けっこう多いんだね。

あなた、自分の名前を間違えられたことありますか? そういうとき、どうするでしょう? ——ときどきインターネットなんかで、「固有名詞の間違い」を指摘されることがある。あなたもあるでしょ? そういうときに思うんだけど、なんだって世の中には、固有名詞の間違いを許せない人間がたくさんいるのだろう? いや、間違えなきゃいいだけではあるんだけどさ。

僕は、掌田津耶乃という名前で仕事をしている。見ればわかるように、これはもう「間違えて下さい」といわんばかりにわかりにくい名前だ。従って、実に頻繁に間違われる。例えば、Amazon.co.jpにいって「掌田」で検索してみて下さい。「掌田津那乃」という名前(掌田津耶乃じゃないよ、よく見てみよう)で登録されてる本 が一冊あります(笑)。天下のアマゾンでさえ間違えるぐらいだから、普通の人じゃ間違えない方がどうかしているぐらいだ。

こういうとき、どうすればいいだろう。僕は、たいていの場合、放っておく。メールなどの場合は、返信する際に署名で僕の正しい名前がつけられるので、気づく人は気づくだろうし、気づかなければ気づかないでいいや、という感じでいる。だけど、人によっては「人様の名前を間違えるのは実に恥ずかしいことだ」と思う人もいるようで、後で「大変すいませんでした!!!」とびっくりマークが3つもつくおわびメールをもらってしまったりもするので、それとなく「実は、名前、ちょっと違うんですよ〜」といったほうがいいのかな?とも最近思い始めている。

が、世の中においては僕のような「間違われても別にどーってことない」タイプというのは少数派のようだ。思った以上に多いのが「間違いは絶対に許さん!」タイプの人。ちょっと間違えたりすると、「ボクの名前は○○です、間違えないで下さい! 相手に失礼と思わないんですか!」と、相手に失礼なメールを送りつけてきたりする(笑)。最近はハンドル名やネットワーク名みたいなものを自称する人が増えて来て、なんというか「これ、どれが名前だ?」という摩訶不思議な名前を名乗る人も多くなった。相手の署名を見てもどれが名前だかわからず、「たぶん、これが名前だろう」と思って返信したら「違います!」と怒られたりする。これはちょっと理不尽だ。

名前に限らず、固有名詞の間違いを強烈に指摘する人も多い。僕がよく「ええっ?」と思うのは、「REALbasic」というソフト。これ、「Real Basic」とか書くと、途端に「正しくは、REALbasicです!」と指摘されたりする。英語の固有名詞なんてのは最初の文字を大文字にすると中学で習ったりしたもんだから、英語のマナーに従ってReal Basicと書いたりすると逆に怒られたりするのだ。「Photoshop」などもそうだろう。これも「PhotoとShopでPhoto Shopなんだろう」などと思ったりすると、途端に「違います、Photoshopです!」などといわれたりする。漢字のものを平仮名で書いたり、ローマ字のものをカタカナで書いたりしただけで「違います!」といわれてしまうと、「なにもそこまで・・」と思ってしまう。そういうこと、ない?

固有名詞というのは、その人やその物に名付けられたものであり、間違えないよう注意するのが相手に対するマナーだ。それはもちろん、コミュニケーションの大前提だ。最近は僕のペンネームのように、自分で考えてつけたハンドル名などを使う人が増えてきた。自分で考えたものとなれば、自分なりのこだわりのようなものがあるのだろう。——例えば、僕の「掌田津耶乃」というペンネームにも、それなりの意味がある。人には「てきとーに本名入れ替えて作った」とかいってるけど、実はいろいろと深いこだわりがあったのだ。全然覚えてないけど。

けれど、そのこだわりをもった名前を間違えられたからといって相手を非難することはしない。そんなにこだわりがある名前なのに、なぜ? ——なぜなら、そのこだわりが通用するのは、こだわりを持っている僕一人だけだからだ。僕以外の人に、僕のこだわりなど通じないのだ。相手に通じるのは「相手の名前は間違えないようにしよう」という一般的なマナーだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。だからこそ、相手を責めることは絶対にできないのだ。そうじゃないか?

本人以外には皆目読めないような名前を名乗り、ちょっとでも間違うと相手を鋭く糾弾する。その一方で、自分とは直接関係ないところでは、固有名詞をわけのわからない略語で表現したり、一部の仲間内でしか通用しないようなスラングを乱発したりする。そういう人が増えている気がする。

自分のこだわりは、自分にしか通じない。他人が自分のこだわりを理解していないからといって怒るのは間違いだ。相手が理解していないのは、自分がそのことを相手にわかるよう説明し伝える努力を怠っていたからなのだ。そう思うことにしようじゃないか。そうすれば、たいていの間違いは笑って許せるさ。

公開日: 水 - 8月 4, 2004 at 04:41 午後        


©