解けない・・・


うーむ。いくら考えても解けない問題というのはつらい。
自分で「解ける」ことを証明してしまっている場合は尚更だ。

昨日からひたすら悩んでいる。なにをか? 知恵の輪である。いや、なんでか忘れたけど、夜中に嫁と話していて、ふと「知恵の輪やりたい」ということになって、いくつかピックアップして買ってみたのだ。それが届いたのが昨日のこと。で、さっそく片っ端から解き始めたのであった。そのうちの1つだけが、どーしても解けんのだ。

一口に知恵の輪といってもずいぶんといろいろある。面白いのは、メーカーによってちゃんと「レベル分け」表示されていたりするのだ。中でも、かなり手強いやつが2つほどあったんだけど、1つはあれこれやっているうちになんとか解き方がわかった。のだけど、残る1つがどうしても解けない。・・なんでも、「王様のアイデア」なんかでは「現日本最難の知恵の輪」とかいって、解けた人には「天才認定」しているとかいう代物であります。そりゃ、解けなくて普通だろ、と思うんだけど・・・。

これ、全く解けなくて悩んでいるのとはちょっと違うのです。実は、昨日あれこれやっているうちに、解けちゃったんだよね。で、なんの気なしにまた元に戻してしまい、「あ、解き方ちゃんと調べとけばよかった」と思ってもう一度解こうとしたら・・解けないこれが。丸一日たった今に至っても、解き方のとば口さえわからないという有様。

人間、こういう「こりゃオレには絶対無理だな」という難問に直面することはある。でも、たいていの場合、なんとかそれを乗り越えてしまう。どうやって乗り越えるかというと、「解けないことをうまく言い訳してしまう」のだね。ま、乗り越えるっていうよか、回避するっていったほうがいいか。——例えば、全く解きようがわからなければ、「これはきっと、絶対に解けない知恵の輪なんだ」と自分をだまして通り過ぎることができる。また、他人が解いてみせたときは、「きっとマジックみたいにタネがあるに違いない」と自分に言い訳できる。そうやって人間はうまいこと問題を回避して生きていけるのだ。

これは、別に卑怯なことじゃなくて、案外、人間にとってものすごく大事な能力かも知れないぞ。だって、全能の神でない限りは、誰だって必ずどこかで「絶対に超えられない壁」にぶつかるときってあるんだから。学校の先生だの自己啓発セミナーの講師だのは「努力すれば必ず成功する」なんて無責任なことを能天気に教えるけど、そんなのは嘘だ。どんなに頑張ったって成功できないことだってある。死ぬほど頑張ったって負けることもある。どんなに努力しても、甲子園では1校しか優勝できない。努力とか能力とかとは関係なく、優勝できなかった他のすべてはどこかで必ず負けるのだ。

中には、「いや、違う。もっと頑張れば、必ず勝てたはずだ」という人もいるだろう。でもね、それは「自分」しか見てないからそう思えるんだよ。頑張って、そして勝てたとしよう。そのとき、必ず自分の代りに「負けた」人間がいるはずなんだ。——さあ、教えて欲しい。努力すれば、「自分」も、その「負けた相手」も、どちらも「勝つ」ことができるのか? それとも、「努力して自分だけが勝てればそれでいい。他の人間は努力して勝てなくてもいいんだ」というのかい? 「努力すれば必ず成功する」ってのは、そんな程度のもんなのか?

努力とか能力とかそういうこととは関係なく、常に「敗者」は存在する。そういうふうに世の中はできているのだ。それを「努力が足りないからだ」とか「自分の能力が劣っているからだ」としか考えられないとしたら、それはあまりに不幸だ。絶対解けない問題が、絶対勝てない勝負が、絶対得られない成功があっても、なんとか心の中で折り合いをつけて人は先に進めるのだ。例え敗者であっても、そこで人生を終わらせるわけにはいかないのだから。世の中は勝者だけで成り立っているわけじゃないんだから。


それはさておき。

自分自身で解けることを証明してしまった問題というのは、回避することが極めて難しい。だって、「この問題が自分に解けること」を自分で知っているんだから。・・こいつを前にして、今、つくづくと思うのであった。

「・・あ〜。こんなに悩むなら、解かなけりゃよかった」





(・・しかし、たかが「知恵の輪が解けない」ぐらいで、ここまで語るか、ふつー?)

公開日: 日 - 2月 1, 2004 at 06:09 午後        


©