性犯罪者はどこにいる?
すべての性犯罪者の住んでいる情報を公開せよ、という動きが加速しつつあるような気がする。
数日前、少女をマンションに3ヶ月間も監禁していたという事件があった。この男が、実は同じような事件を以前に引き起こして保護観察中だったということがあちこちで波紋を広げている。——性犯罪については、前から「再犯率が高い。これは性癖だからなおらない。一度やったやつは必ずまたやる」というようなことが巷でよくいわれてきた。今回も、新聞やテレビ番組などでは「性犯罪では、再犯率は40%以上もある」というような数字をどこかから持ってきては、「だから性犯罪者は出所後も厳しく監視が必要うんぬんかんぬん」といいたてているところが出てきた。
米国には「ミーガン法」と呼ばれる法律がある。これは、性犯罪を犯した人間を公表し、出所後も監視するためのものだ。しばらく前から日本でもこのミーガン法を望む声が増えてきた。やむを得ずというか臨時の措置というか、警察は今後、性犯罪者の住所など出所後の情報を把握する方向で動いているという。性犯罪者の出所情報に関しては、13歳未満の子供に刑法の性的暴行、強盗性的暴行、強制わいせつ、わいせつ目的略取・誘拐の四罪種を対象に、刑務所からの出所予定日と居住予定地などを法務省から警察庁へ提供することが既に決まっている。ただし、これは一般に公表するわけではないようで、あくまで警察で把握しておくというだけのようだ。
「自分の身の回りに変な人が住んでいるとしたら、どうしてその情報を我々一般市民に教えてくれないんだ?」という声は、日増しに高まっているように思える。僕も、幼い娘を持つ親として、変質者が近所に住んでいたら怖いと思う。——だが、それとは別に、「一度犯罪を犯した人間の情報が出所後もずっと公開され続ける」ことの怖さというのも強く感じる。これは、近くに変な人が住んでいたら・・という恐怖なんぞよりも遥かに巨大な恐怖だと思うのだが、そう感じる人はもはや少数派なのだろうか。
米国ではミーガン法が果たしてどれだけ効果があったかを検証した論文などが出ているのだけど、そうしたものでは、「ミーガン法は、犯罪予防の効果はほとんどなく、弊害が大きすぎる」という結論に達するものが多いようなのだ。「犯罪者の情報を公開せよ!」という人たちには信じがたいことだろうけど、誰もが思いつきそうな主立った弊害をざっと記してみよう。
・ミーガン法以前と以後で、性犯罪者の再犯率はほとんど大きな変化がない。
・ただし、大きく異なるのは、「より再犯に至るまでの期間が短くなった」ということらしい。これはつまり、出所後も住所等が公開されているためにさまざまな圧力がかかり、追いつめられたあげく再び犯罪に走るようになるため、という。つまりミーガン法により、犯罪者はより早く次の犯罪に手を染めるようになる傾向があるという。ふーむ。
・経済力による犯罪の格差がより顕著になる。情報を調べ、さまざまな反対運動などを行える比較的裕福な人たちが住む町からは犯罪者が追い出され、結局はそうした余裕のない貧しい人たちの住む町へと寄せ集められる傾向がある。なるほど。
・近隣住民による元犯罪者への暴力、嫌がらせ、また職が得られない、住まいが得られない等の「犯罪者バッシング」がより激しくなる。それは当然考えられたことだな。
根本的なところを僕らはつい忘れてしまう。「犯罪を犯した者も、死刑にならない以上は必ずどこかに住んで暮らさないといけない」という当たり前のことを。——犯罪者は、必ず社会に戻ってくる。罪を犯した人間全てを死刑にすることなどできないのだから。自分の近所からそうした人を追放することはできるかもしれない、だが必ず「誰かの隣に住む」のだ。その大前提を忘れてこの問題を考えることなどできないはずだ。
そして、「罪を犯した者の多くは、再び罪を犯さない」ということをもっと考える必要がある。「性犯罪は別だ、性犯罪者の再犯率は5割近いんだ」という人もいるが、実は「性犯罪者が再び性犯罪を犯す割合」は、十数%なのである。40%だの50%だのという数字がどこから来たのかよくわからないが、どうやら「性犯罪以外のすべての犯罪をおかした場合」から持ってきたらしい。例えば万引きで捕まっても、この「再犯率」に含まれるわけ。つまり、「性犯罪者が再び性犯罪を犯す」割合では全くないのだね。「ある犯罪を犯した人間が、同種の犯罪を再び犯す」という意味での再犯率は、実は性犯罪だろうがその他のものだろうがだいたい十数%という。ということは、犯罪を犯した者の8割以上は、再びそうした犯罪を犯してはいないのだ。性犯罪の場合も含めて。
ミーガン法の弊害として、上にあげてないけれどこういうものがある。それは「無用に不安をあおる」というもの。「犯罪者だ」というだけで、人は必要以上にその人を危険人物として見るようになってしまう。もちろん、中にはそうした「いつまた罪を犯すかわからない犯罪者」もいるかも知れない。だが、そうした人間を監視するために、すべての「罪を犯したけれど社会復帰してまともな暮らしに戻ろうと思っている人」の人権を剥奪するようなことが果たして正しいのだろうか。
「住みやすい社会」を作りたい、それは誰しも同じだ。だが、自分たちにとって不快な存在を「排除した社会」と「共存する社会」のどちらか本当に住みやすい世の中となるのだろう。・・僕らの住む世の中には、罪を犯した人間もいる。いて、共に暮らしている。まずは、「そういう世の中に生きているのだ」というところを出発点にしよう。少なくとも「そんな人間はこの社会にはいないのが当たり前なのだ」などと錯覚しないようにしよう、と思うのでした。
公開日: 金 - 5月 13, 2005 at 07:14 午後