「してやってる」という思い込み
「あんたのためにわざわざしてやってるんじゃないか」という思い込みって、相当に迷惑だよね。
小泉首相の靖国参拝が「違憲」だそうです。福岡地裁、たいしたもんだ。最近は、国家権力の意志に反する判決に踏み込むのをためらう裁判所が多い中、訴え棄却であってもきちんと憲法判断まで踏み込んだのは立派だと思う。——が、当のご本人は全く判決を理解できないらしい。「わからない」と連発してますねえ。
山崎拓さんと平沢議員が勝手に中国に行って裏で北朝鮮とごにょごにょしてたらしい、ってのも新聞をにぎわせてるね。これもご本人たちは「なんで文句いわれるのかわからない」という感じだろう。これだけ働いているのに、とね。
更にまた、イラクでは戦闘が激化し、ほとんど内戦状態になってきてますね。モスクを攻撃するなんて、正気の沙汰じゃないよ。でも、おそらくやってる米国自身が一番「なんでこんなことになったのかわからない」と思ってるんだろうな。
これらに共通すること。それは、彼らがみんな「お前たちのためにやってあげてるんだ」と思い込んでいること、じゃないだろうか。それなのに、当事者たちから文句を言われる。「なんでだよ? お前たちのためにこんなにやってあげてるんじゃないか」と、まあ思うわなあ。
「自分は相手にとって正しいことをしている」という思い込みほど迷惑なものはないと思う。なにしろ「自分には非がない」と思っているわけだから、悪いところを直そうとしない。だって、正しいんだから。正しいのに、なんでオレが考えを改めないといけないんだ? オレがこんなにあんたたちのためにやってあげてるのに、文句を言うあんたたちのほうが変だよ? ・・そう思うのだろうね。
「自分は正しいんだ」という思い込みは、どんなものにもまして自分を正当化する力になる。それは、時には「相手のために」という「相手そのもの」の言い分よりも正しいと思ってしまう。「あなたのために」やっているんだ。あなたがそれを「イヤだ」というのは、あなたのほうが間違いだ。あなたのために行なっている自分に反対するなら、しょうがない、あなたを殺してしまおう。それが「あなたのため」なんだから。——自分にとっての「あなたのため」を正当化するためなら、「あなた」そのものを否定することさえ辞さない。
「他人のために何かをする」ということは、常に「自分は誤っているかも知れない」ということを考えなければいけない。なぜって、自分は、他人じゃないんだから。そうでしょ? もし、そこで「いや、他人より自分の方が正しいんだ」と思ったとしたら、それは「他人のため」ではなく「自分のため」に行なっているのだ、ということに気づかないといけない。自分のために行なっていることをカムフラージュし正当化するために「他人のため」という偽装工作をしているに過ぎないことに思い至らないといけない。
そりゃ、僕だって常にそういうことを考えてるわけじゃないよ。「嫁のため」とかいって手伝いをして、嫁に怒られて「なんでだよっ、お前のためにやってるのに」とか腹を立てたり、よくします、はい。——でもね、せめて一国の指導者ぐらいは、そういうことをきちんと考えて行動できるようになって欲しいよ。でなけりゃ、そいつに指導されてる僕らが悲しすぎる。
公開日: 木 - 4月 8, 2004 at 06:58 午後