弁当の行方


愛知万博で弁当問題が沸き起こっております。

愛知万博で、弁当問題が取りざたされている。愛知万博では、弁当及びペットボトル類などの飲み物の持ち込みを禁止している。「食中毒などが心配されるため」だそうで、飲み物食べ物はすべて会場内で買って下さいとのこと。——が、「弁当を持ち込めないのは不便だ」という意見がどっとでてきて、小泉首相までが「こりゃ不便だよね」といったりし始めたもんだから、万博事務局も弁当解禁に動かざるを得なかったようだ。といってもすぐではなく、4月中を目処に検討する、のだそうだ。お役所だねぇ。たった180日ちょっとの開催期間しかないイベントで、たかが「弁当を持ち込んでもいい」ということを決めるのに数週間かかるとは。まっとうな民間企業がやってれば30分以内に決まって翌日から実行だ。

(※と思ってたら、本日4月1日から弁当解禁になったそうです。なんだ、やればできるじゃん)

遊園地だの野外の行楽に出かけるときに「お弁当」というのは基本中の基本だと思っていた。それが、ディズニーランドで「弁当持ち込みはダメよ」などといい出して以来、そういう「弁当禁止」が多数派のようになりつつある。まぁ、私企業が営利目的で運営するものについては、やむを得ない面もあるだろう。なにしろ儲けるためにやってるわけだからね。イヤならいかなけりゃいい話だ。だが、万博ってのはそういうものじゃないだろう。食中毒対策というけど、「自分たちが家で作ってきたお弁当を食べて食あたりになった」となると大変だから弁当持ち込みそのものを禁止するというのは本末転倒ではないか。結局、「中の業者が売っているものを買って食べてもらおう」という、業者の利益のためのものではないか。

——実は、万博事務局はこの「弁当持ち込み禁止」に関して、独占禁止法に違反するとして訴えられている。最初は業者の利益を考えて禁止にしたが、今度は火の粉が自分たちにかかってきそうになったので慌てて解禁した、という感じがする。本気で「来場者の食中毒の心配」をいうなら、誰が何をいおうと「禁止」を貫けばいい。その結果、入場者数が激減しても、あくまでそれが正しいと信ずるならそうすべきだろう。結局、ちょっと自分たちの立場がまずくなりそうなら取りやめる、その程度のものでしかなかったということか。

まぁ弁当解禁の是非は置こう。僕がその前から気になっていたのは、「では、持ち込んでしまった場合、その弁当はどうなったのか」ということだった。——その回答が、偶然、今朝の朝日新聞に載っていた。中学生の女の子の投書だったのだけど、弁当を持って楽しみにしていた万博へ家族で出かけたところ、入り口で注意を受け、弁当はそのままゴミ箱に捨てられた、というのだ。家族がみている目の前で。

呆然というしかない成り行きだったことだろう。しばらく前に、学校の授業で、「世界中には食糧難や飢饉で飢えている人々がたくさんいるのだ」ということを習ったばかりの彼女にとって、その光景は理解できないものだったろう。「環境万博」といい、自然と調和した循環型社会のあり方を考えるイベントで、お母さんが作った家族の弁当を「規則だから」と取り上げゴミ箱へ捨てる。それで、環境万博。

「環境」というものを考えるために常に意識しなければならないこと。それはいろいろとあるだろうけど、僕が思うに「他者へのまなざし」ではないだろうか。自分のことだけ考えているのではなく、自分以外の者へ、人間以外の生物へ、もっと目を向ける。その向こうに「果たして我々が住んでいるこの世界をより多くの人間や生き物にとって住みやすい世界にしていくためにはどうすべきか」ということが見えてくるのではないか。それが——自分たちにとっておそらくもっとも身近でもっとも深く考えなければいけない「お客様」のことさえ満足に考えられない人間たちに、なぜ「環境」などという大それたことが考えられるというのだろう。

結局、もっとも「環境」というものを考える立場から遠いところにいる人間たちが、この万博を運営している、そう考えざるをえない。「たかが弁当ぐらいのことで・・」と考えている事務局の人。「たかが弁当」のことさえ満足に考えられない人間が、それより大きなことを考えられると思っているの?

公開日: 木 - 3月 31, 2005 at 01:43 午後        


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