そいつを、消せ!
某月某日。また、我が家の表舞台から「モノ」が消えた。
先週末。我が家の食卓から「電子レンジ」が姿を消してから1週間ほどが経つ。
電子レンジは、新生掌田家のキッチンに巣食う「ガン」だった。場所を食う割に見てくれが悪い。新しいキッチンが洗練されていくにつれ、どうしてもそれまで使っていたものの不格好さが目立つようになってしまうのだ。そして、遂にその日、妻が決断を下し、声高く宣言した。「この電子レンジを、納戸へ!」
実をいえば、新居に引っ越して以来、電子レンジの出番はかなり減っていたのだ。今まで、電子レンジは「あれば何かと便利」と思っていた。が、初めて「本当にきちんと使えるガスレンジと鍋」がやってくると、電子レンジでやっていた様々な作業は、実はすべてガスレンジがあれば済むものだ、ということに気がついたのだ。
「便利なもの」といわれて我々の暮らしに入り込んで来た物たちは、果たして本当に便利だったのか。いや、それが世に出た当初は便利だったとしても、今もなお、その利便性は保たれ続けているのか。そうしたことを僕らは日々検証して来ただろうか。
引っ越したのを機に、それまで使って来た1つ1つのものを「これは果たして本当に必要か?」と確認する作業を、我が家は無意識のうちに行って来ていた気がする。そして、それまで常識的に「必要だろう」となんとなく思っていたものが、実はなくともさほど困らないことに次第に気がついて来た。
例えば、我が家のガスレンジには、魚焼きグリルがない。業務用なのでついてないのだけど、いわれて初めて「そういえばないわ」と気がつくぐらいで、実はなくともたいして不便ではないのだ。電気保温ポットが消えたことは前にブログに書いた。そして今回、電子レンジである。
もちろん、1つ1つを精査していった結果、逆に増えたものもある。食器洗い乾燥機。これはそれまでなかったものだ。これのおかげで、妻は思う存分、鍋を使えるようになった。そして「ちょっとしたことでも鍋を火にかけてささっと作業する」ということができるようになったことで、電子レンジが不要になったのだ。となれば、食洗機は決して無駄なものではなかったことがわかる。
そして、エスプレッソマシン。ハンドブレンダー、スタンドミキサーの類い。これらは新たにキッチンにやってきた。そして料理の下ごしらえや、お菓子作りの強力な助っ人となってくれている。逆に、パン焼き器は、ガスオーブンとフードプロセッサーの登場により、ほとんど使われなくなった。
これら新たに増えたものと消えたものを見ていくと、「自分が何かを作るときの手助けをしてくれるもの」が増え、「何かを自動的に作ってくれるもの」が消えていく傾向にあることがわかってくる。要するに、自分の手の延長となる機器は増えたが、「これで全部作ってくれます」というものは使われなくなってきたのだね。
「放っておけば、これが全部やってくれる」というもの。それが、例えば洗濯機とか食洗機のようなものであれば、これは大歓迎だ。なぜなら、それらは「後始末」のためのものだから。何かを作るとき、その後始末が大変であるがために「作ること」そのものが敬遠されるようなことがあってはならない。人を「作ること」に向かわせるために、後始末を楽にするのは正しい「便利さ」と思うのだ。
が、「何かを作る」部分を、「全部やってくれる」ものに任せるのは果たして正しかったのか。その「便利」は、果たしてあるべきものだったのか。「何かを作る」ということを、人間は手放し、機械にゆだねるべきだったのだろうか。
我が家が現在行っていること。それは「後始末などの誰もが面倒でストレスに感じる部分には積極的に機械を取り入れよう。が、何かを作る部分においては、作ることそのものをすべて機械に任せてしまうことをやめよう。そして代りに、自分たちで作ることを助けてくれるものを取り入れていこう」——こういうことなのかも知れない。
ともあれ、妻は以前の家より、はるかに料理を作ることが楽しくなったようだ。そして、確実においしいものを食べられるようになった気がする。それは、料理のレベルというようなことだけではない。例えばスーパーのお惣菜で餃子を買って来たとしても、それを「電子レンジでチン」するのと「フライパンで暖める」のとでは雲泥の差があるのだ。
電子レンジを納戸に追いやった今、改めて思うのだけど、電子レンジを使って作ったものはなんだってああも「まずい」ものばかりだったのだろうか。温野菜を作るにしても、レンジでチンするのと鍋で茹でるのとではやっぱり違うのだ。
例えば、家で作った餃子、チルドの餃子、冷凍食品の餃子、それらがすべて同じ材料で作られていたとしても、やはり全く違う。妻は「食べ物の生気、生命力が失われる」とよくいっている。「便利である」ということは、何かと引き換えに実現されるのだ。その「何か」とは果たして何だったのか。そのことを僕らはもう一度考えるべきではないか。
我が家の次の目標。それは、「炊飯器」である。これも、「放っておいても全部やってくれる機器」の一つだ。そして、考えてみればこれも鍋があれば不要なものなのだ。——正直、まだ「炊飯器は便利、鍋で炊くのは大変」という思いが抜けきってない。けれど、ひょっとしたら近い将来、これも納戸に追いやれるんじゃないか、と密かに思っている。果たして結果は如何に?
公開日: 金 - 3月 14, 2008 at 05:05 午後