ボクシングは、ケンカだろ?


亀田家への処分があちこちで話題になってるらしい。

先日行われた内藤大助と亀田家の次男・亀田大毅とのフライ級タイトルマッチで、大毅が内藤に再三の反則を行った件で、日本ボクシングコミッションは、大毅に1年出場停止、セコンドである父・史郎に無期限のセコンド資格停止、反則を指示したという長男・興毅に厳重注意という処分を行った。——これ、既にニュース等であちこちで話題になっているね。

一般の反応は「もっと重い処分を!」ということのようだ。まだまだ甘い、永久追放しろ!という人も多い。「ボクシングはケンカじゃない。ルールを守り、フェアプレイの精神で戦う競技だ」——世界戦での汚い反則の数々は、そのボクシングを冒涜する行為だ、「どうやったって勝てばいい」という印象を与えたことは重大だ。そういうことのようだ。これは、亀田家の父の「ケンカが強けりゃいいんだ」といった態度への明確な回答なのだろう。

でっかい批判を覚悟でいおう。

ボクシングってのは、「ケンカ」だろ?
「ルールを守って・・・」だの「フェアプレイ」だのいうけど、要するに「殴り合い」だろ?
なぐって強い奴が勝つ。それがボクシングじゃないのか?

ルールはある。そりゃ、スポーツなんだから。だから反則は罰せられる。そりゃ当然だ。だがね、本来、ボクシングってのはそういうもんだったんじゃないのか? 何としてでも勝ちたい、そう思えばレフェリーに見えないところでうまいこと反則する奴だって出てくるだろう。見つかれば処分、これは当たり前だ。見つからなければラッキー。そういう世界じゃなかったのか?

「殴り合い」のスポーツに、そもそもそんな立派な人格者であることを求めるのが間違ってないか?

僕は「明日のジョー」世代だから思うのかも知れない。明日のジョーでは、ジョーは立派な人間じゃなかった。頭も良くないし真面目でもないしちゃんとした社会人の常識もない。ろくでもないチンピラで、あちこちでトラブルを起こして回り中に迷惑をかける。だけど、喧嘩だけは強かった。——そういう人間でも、この社会には居場所があるんだ。それが「ボクシング」だったんじゃないのか。少なくとも、僕が子供の頃は確かにそうだったはずだ。

亀田家は、僕だって大キライだ。言葉遣いも態度もなってないし、ただのごろつき一家じゃないか。だがね、「ごろつき」も、この社会にいていいんだ。少なくとも「そういう人間は社会から抹殺すべきだ」というのは間違っている。

「ケンカが強い」という以外には何の取り柄もない。——昔は、そういう人間も受け入れてくれる場所があった。その一つがボクシングだったはずだ。もちろん、誰もがそうだというわけじゃない。ボクシングに打ち込む中で次第に心身共に鍛えられ、精神的にも成長する人も多いだろう。だが「精神的に成長してない人間はボクシングをやるな」というのは話が逆だろう。

もっと「ダメな奴」とか「イヤな奴」もいられる場所を置いておこうよ。なんだって片っ端からそういう人間を否定して排除しようとするんだ? いいじゃないか、「ケンカしか能がないダメな奴」がいたって。そういう人間が、ケンカを武器に世界チャンピオンになる。面白いじゃないか。「清く正しく美しく」な人間だけしか成功しない、成功させない社会、そんなものを後生大事に抱えていて楽しいか?

ケンカだけしか能がない奴。サッカーだけしか取り柄がない奴。絵だけしか褒められるところがない奴。それ以外は人間的にもダメダメな連中。そういう連中が、そのたった一つの取り柄だけで、ちゃんと世の中で生きていける。そういう社会であって欲しい。そうは思わないか、そこのダメ人間な人。

公開日: 火 - 10月 16, 2007 at 03:07 午後        


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