Google八分


Googleという脅威をもっと考えるべき時期に来ているのかも知れない。

ここ数ヶ月の間に、Google関係の書籍がけっこうあちこちから出てきた。中でも、もっとも注目されたのは「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」(ちくま新書)と「グーグル——Google 既存のビジネスを破壊する」(文春新書)だろう。

この2冊は、どちらもWeb 2.0の社会がどういうものかについて解説したもので、その代表選手としてGoogleを中心的に取り上げている。どちらもだいたい似たような内容といっていい。ところが、その印象はかなり違う。「ウェブ進化論」は、Web 2.0という技術のまっただ中にいる当事者の意見であり、「グーグル」は第3者的にこれらを俯瞰するジャーナリストとしての意見といっていい。それがためか、前者はWeb 2.0をある種のユートピア的に「すばらしいものだ」と諸手を上げて絶賛している雰囲気が漂うのだけど、後者は生まれるものと同時に失われるものをとりあげているのだね。

Googleは、既存の権威を破壊し、新しい秩序を生み出しつつある。それは確かだ。Googleは近い将来、マイクロソフトをも超えるもっとも大きな力を持ったIT企業となるだろう。だが、それは果たして本当にすばらしいことなのか? どうも「既存の権力や企業を破壊し、小さな力しか持ち得なかったすべての人に平等に力を与える」ということにばかり目を奪われ、無条件に「Googleはすばらしい」と思ってしまうところがある。が、Googleが行っているのは「権力の破壊」だけではない。「新たな権力の創造」をも行っている。そう、それは「Googleという神」を作り出す作業だ。

Googleは、神を目指している。「グーグル」で書かれているこんな言葉を大抵の人は嗤うかも知れない。が、インターネットの世界に関していえば、Googleでの検索結果がすべてのWebサイトの評価を決めているのは確かだ。そして非常におそろしいのは、これを「インターネットにおける巨大な権力の出現」ととらえている人が非常に少ないという点だろう。

「ウェブ進化論」では、Googleの検索はすべてアルゴリズムが行っており人間の手が一切介在しない、従ってそこに恣意的な力は働かない、だからある種の権力とはなり得ないといっている。が、「グーグル」では、そのことが真っ赤な嘘であることを暴露している。Googleは、検索結果を意図的に操作している。これは、まぎれもない事実だ。Googleは、国家(もちろん、米国)の意向や大企業の要求などに応じて、検索結果から当事者にとって不都合なものを取り除き、「インターネットの世界にそんなWebサイトは存在しない」ように扱っている。

例えば、「悪徳商法マニアックス」(ここです) という、悪徳商法に関する情報を集めた、非常に有意義なサイトがある。このサイトは、実はGoogleからは絶対に検索されない。サイトが存在しないか?というとそんなことはない。何年も前からちゃんとあるし、yahoo.co.jpで検索すれば一発で出てくる。Googleでだけ、「存在しない」ことにされているのだ。このサイトの管理者は、このことを「Google八分」といっている。村八分のGoogle版だね。

また、これは既に広く報道されているのでご存知の方多いだろうが、Googleが中国に進出を果たす際、中国政府との間にある種の密約がなされたらしいことはほぼ確実といわれている。実際、中国版Googleであるgoogle.cnで「天安門事件」を検索するとほとんどのサイトが引っかからないし、「法輪功」を検索すると批判的なサイトのみが検索され、肯定的なところはすべて表示されないようになっている。

ということは、今後、例えば北朝鮮、例えばミャンマー、そういった国にGoogleが進出することがもしあったとしても、そこでは健全な検索はおそらく絶対に実現しないだろうことは容易に想像できる。彼らは、国家に対して民主主義の先兵たろうなどといったことはこれぽっちも考えてはいない。彼らは、信じられないことだが、圧倒的な力を持っていながら、その力の使い方を知らないのではないか。

Googleは、これからも更にさまざまな分野に進出してくるだろう。僕らはそれを止めることはできないだろう。彼らは本気で世界中の全ての情報をデータベース化しようと考えている。物や情報だけでなく、人々の人生や感情、生き方までをもデータベース化しようと本気で考えているらしい。百年後には、人は生まれるとすぐに頭の中にGoogleチップを埋め込まれ、すべてをGoogleによって管理されるようになるかも知れない。いや、マジでね、それぐらいのことを彼らは冗談抜きで考えているらしいのだ。

Googleは、神になろうと本気で考えている。そしてこの神は、神が住んでいる(?)米国の政府や強硬な態度を貫く多くの国家、大企業の圧力に非常に弱い。ちょっとした圧力で、この神は自分の力を彼らに都合のいいようにちょこっとだけ変えてしまうのだ。

Googleを作りだしている連中は、すさまじく頭がいい人間たちだ。そして、こうした頭のいい人間たちというのが、往々にして実社会に関してはかなり無知だったりするのじゃないだろうか。彼らは、とてつもない怪物を作り出すのに夢中で、その怪物がとんでもない力を持っていることをあまり真剣に考えていない。そして、その力を利用しようとする権力に、実に安易にすり寄ってしまう。いや、すり寄るどころか、そうした権力に「坊や、すごいもの作ったねえ、よしよし」と頭をなでられてニコニコ喜んでしまうようなところがあるとしたら・・これはかなり怖いんじゃないか。

Googleという新しい権力の誕生に一番鈍感なのは、彼らGoogleなのかも知れない。僕らはもっと、この新しい神の誕生の意味を考えねばいけない時期に来ているんじゃないか。なんてことを思うのでした。興味のある方は、ぜひ、上記の2冊を読み比べてみることをお勧めする。「どっちかだけでいいじゃん」と思う方は、ぜひとも「グーグル」のほうをどうぞ。

公開日: 木 - 8月 31, 2006 at 03:59 午後        


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