チェロのある生活



 昼下がり、チェロを弾くパパとそれを撮るママ。
 そしてひたすらカメラを追う、出たがりな娘。

昔から、ある種のあこがれだった楽器がある。それが「チェロ」だ。

どうやら僕は子供の頃からの「楽器フェチ」らしい。僕の実家はいわゆる新興住宅地だったところにあって、家の回りには僕より少し下ぐらいの子供がたくさんいた。そういうところでは、必ずといっていいほどに「あの家がやるならうちだってやる」的な流行というのが生まれる。我が家の周辺では、それが「ピアノ」だった。

うちの隣が僕より2つ下の女の子で、ピアノを習っていた。それから数年のうちに、反対側の隣も、裏の家も、そのまた隣も・・・というように、瞬く間に「ピアノ熱」に感染していったのだった。我が家はといえば、そうした流行にはまったく頓着しない父母のもと、かなり前に買って以来、誰も弾かないオルガンがぽつねんとあるだけであった。「やりたいならやらせてあげるのに」という母。あぁ、人生の機微というものをわかっていないな、と8歳の僕は子供心に思ったものだ。やりたいわけではない。ただ、「家にピアノのある生活」というものにちょこっとだけあこがれがあっただけだ。別にピアノが弾きたいわけではないのだ。

ピアノといえば、ハイソな暮らしの代表的アイテムだった。そして、回りはすべてピアノのある家。我が家だけは、古ぼけた電気オルガン。その中での日々が、おそらくは「ピアノ『以外』の楽器」へと向かわせる動機となったのだろう。高校に進んだ姉はすぐさまマンドリン部に入りギターを手に入れた。僕も高校に進むとやっぱりマンドリン部へ。ところがぎっちょんちょん、世の中は甘くない。どこをどう間違ったか、僕は指揮者になってしまった。そう、指揮者。オーケストラで唯一「楽器がない人」だ。これがだめ押しとなり、僕の「楽器が欲しい」病は発病してしまったようだ。

手始めに、知り合いの先輩から中古のマンドリンを1万円で譲ってもらう。姉が残していったクラシックギターを奪い取る。お年玉をためてバイオリン(当時8千円!)を買う。社会人となり、6千円のリコーダー購入。サイレントバイオリンを発売とほぼ同時に手に入れ、更に10万円の「まともな」バイオリンをようやく手に入れた。——が、その少し後で、楽器集めはとりあえず終わりとなる。なぜなら、結婚したからだ。バカげた金の使い方をする時代は終わった。そのとき確かにそう思った。(はい、嘘です)

そして、残っていた最後のあこがれが「チェロ」だった、というわけ。チェロは、僕の中では「当分手に入れられないもの」という位置づけだった。なにしろ、高い。まともなものは、入門用ですら30万以上はするだろう。バイオリンはそれでも入門者がたくさんいるのでそれなりに安いものもあるが、チェロは演奏者数もかなり少ないから量産品の安いものもない。弾けもしない楽器にン十万も出すなら妻に布でも買ってやれ、という天の声(実は妻の声)が聞こえた。

ところが! 先日、何がきっかけだったか忘れたが、ネットで検索してみると、数万円でチェロがごろごろ売られているらしいことを知ってしまったのだ。これぐらいなら、十分手に入れられる金額だ。妻もチェロなら「インテリアとしてすてき」なので買え買えという。(ただし、あくまでインテリアなので、中国製はダメ。絶対ヨーロッパ製でないと・・・という不思議な条件付)

いろいろ探したところ、イギリスのステンターというところのチェロが3万9800円で売られているのを発見! チェロ本体・弓・松やに・ソフトケースと一式揃っていて、しかも税込み・送料と代引き手数料は無料! 妻の「安くて、且つヨーロッパ製でないとダメ」という難問もクリアしている。——サンキュッパぽっきりでチェロが手に入る。これは、買うしかないでしょ。

というわけで、やってきましたよ、我が家にチェロが。値段が値段だけにどんなものか半ば楽しみ半ば不安だったのだけど、これが思った以上にちゃんとしたチェロ。音も、素人にとっては十分すぎるぐらいに響くし、思ったよりも美麗。安くても指板や糸巻きはちゃんと黒檀を使ってる。アジャスターもちゃんと全弦についている。まぁ、松やには「使える」という程度のもの(笑)だったけど、思った以上に立派なものでした。少なくとも、高校の頃に買った8千円のバイオリンよりははるかにまともだ。そのうち、少しはうまくなったら弦を張り替えて弓を新調すれば、それなりに使っていけそうだ。

将来、娘がバイオリンを習ってくれたら、家族でピアノトリオができるな。なんてことも頭の片隅をちらっとかすめたりするのでした。とりあえず、一曲ぐらいは何か弾けるようになろうと、目下、暇を見て練習中であります。左手の小指が引きつって痛い・・・高校生の頃以来だなこんなのは・・・。


 なんとかサマになって・・・るだろうか??

公開日: 木 - 7月 13, 2006 at 06:02 午後        


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