ライブドア問題の話


ホリエモン逮捕について書いておこうと思う。

ホリエモン逮捕から数日。そこいら中で彼に関する是非が論じられております。正直、そういう騒ぎにかかわりたくはないな、という思いがあってここで何か書くのを避けてきたのだけど、前にもライブドアのことを何度か書いて、ある意味応援する発言をしたわけだから、何も書かないわけにはいかないだろう。こういうところで公に発言する一種の義務だろうから。

今回の事件に対する感想、それは一言でいえば「ない」だ。ある犯罪を犯した疑いのある人間が逮捕された、それ以上でもそれ以下でもない。僕が、一連の騒ぎに不快感を感じていたのは、そうした一つの事件に対し、なぜ人は「意味」を求めるのか?ということだ。事件が起きた、それに対する賛否をもってその人への踏み絵にする。そういう空気というか、「お前は堀江の生き方に賛同していたのか、そうじゃなかったのか。どうなんだ、えっ?!」という風潮というのがイヤでたまらなかったのだ。

同じ新興企業の事件ということでリクルート事件と比較する記事なども見られたが、それは違うだろう。リクルートは明らかに政治との癒着に関する問題であり、ライブドアの問題は、要するに「商売のルールに反した」というだけの問題だ。「だけ」という言い方は適切ではないかも知れないが、少なくとも現時点で、堀江という人間は誰かを殺したり強盗に入ったり誘拐したりしたわけではなく、商法に違反したという疑いで取り調べを受けているだけなのだ、ということなんだよね。

そりゃあ、もちろん実際にやってたならいけないことだよ。粉飾決算なんてことをやる会社はろくでもないことは確かだ。最近では、カネボウなんかが粉飾決算してたのがばれて大騒ぎになったね。——じゃあ、カネボウの経営者はみんな吊るし上げられて人非人扱いされ経済界から抹殺されたか?といえば、そうではないんじゃないか。

その他の企業、なんでもいい、トヨタでもなんとか銀行でも三井住友三菱の財閥系でも商社でもなんでもいい。そうした企業が似たようなごまかしをしていたことが発覚し、経営者が逮捕された。そのとき、その企業は社会から人でなし呼ばわりされ経営者は吊るしクビまがいの扱いを受けるだろうか。断言してもいい、そんなことは絶対にない。それが、由緒正しい大企業である限りは。

ライブドアが「単なる」商売のごまかしが発覚したというだけで、同時期に地震大国の日本でちょっとした地震で倒壊し相当な死傷者を出すだろうビルを山ほど建てた人間たちはかすみ、新聞の一面から姿を消した。毎日、ライブドアの株価がどうだという話ばかりが新聞のトップを飾った。ライブドアが倒産し、グループ会社が散り散りになっても日本の社会に影響はないだろう。だが近く大きな地震が起き、強度不足のビルがすべて倒壊したら日本の社会にどれほど大きな影響を与えるか。なぜ、来る日も来る日もライブドアが新聞のトップなのか。

堀江氏は、ことあるごとに「金が全て」と発言していた。金で何でも買える、女も幸せも人の心も買える、そう豪語した。メディアはそうした彼の言動を取り上げ、拝金主義の末路だとばかり、ここぞと叩いた。——誤解されるのを覚悟の上でいおう。「金が全てだ」という考え方をもつことは、犯罪なのか? 世の中、いろんな人間がいる。そういう考え方をもった人だっている。そういう考え方をしていた、そのことをもって人格を攻撃するのは正しいことなのか?

「だからといって、金のために法を犯していいのか」——そう、つまりは「法を犯した」ということ、そのことだけが問題なのだ。つまりは、彼が「金が全て」といっていたこと、ライブドアが企業を買収して成り上がったこと、そうしたことには何の問題もないのだ。ただ、「法律に違反した」というだけが問題なのだ。

であるのに、なぜ、「法を犯した」ということをもって、ライブドアのすべてを公然と否定することが許されるのだろうか。僕にはその感覚が理解しがたい。法を犯した者は、その犯した罪のみを償えば良いのであって、罪を犯したというそのことをもってその人の思想信条性格人格が批難されるいわれなどこれっぽっちもない。

ライブドアは、今、叩かれている。「だからいわんこっちゃない」「こうなることはわかっていた」といわんばかりの風潮で。そういう今だからこそ、あえていっておこう。

ライブドアには、「法に反した」という点以外に責めるべきものは何一つない。法を犯した者を、犯した罪以外のところで批難し叩くことは許されない。そのことをすべてのメディアはどう思っているのか。「ホリエモンのような考え方は嫌いだ」という人もいるだろう。「ああいう人間は虫酸が走る」という人もいるだろう。だが、「キライだ、不快だ」ということをもって、その人間を公然とバッシングしていいという正当なる理由になるというのか。

確かにライブドアは罪を犯した。たが、それはいってみれば「たかが、金の問題」だ。人の生き死にの問題ではない。「たかが金の問題」にここまで大騒ぎをするのは、それは騒ぐあなたこそ「金がすべてだ」と考えているからではないのか? 「世の中、お金が全てじゃない」というなら、その「とるにたらない金」程度の問題をなぜここまで大きくとりあげるのか? 人の生き死にの問題である耐震不足マンションの問題などより遥かに大きく。ライブドアの事件は、それほどまでに大きな大問題なのだろうか。ただ、「とある新興企業が粉飾決算していたことが発覚した」という以上でも以下でもないことだったのではないか。それが、なぜライブドア「だけ」は、他のもっと根本的に重大な問題より優先されるのか。どのメディアでもいい、どうかわかりやすく僕に教えてください。

公開日: 木 - 1月 26, 2006 at 11:33 午前        


©