3分間で会社をクビ 


わずか一駅の間、子供を列車の運転室に入れた運転士が懲戒解雇だそうだ。 

東武野田線で起こったちょっとした事件が波紋を広げている。

ことの発端はこうだ。——今月の1日、東武野田線の南桜井駅にて、普通電車を運転する運転士の長男(3歳)が運転室に入り込んでしまった。運転士はそのまま次の川間駅まで運行し、そこで長男をおろした。これに対し、東武鉄道は「重大な服務規定違反」として、運転士を懲戒解雇することを決めた。

なんでそんなところに運転士の子供がいたのか。それは、運転士の妻が子供を連れて電車の一番前に乗っていたからだ。パパはまだ30代だそうで、おそらく「子供にパパの働く姿を見せてあげたい」とか思ったんじゃないだろうか。そうしたところ、子供が運転室への扉をばんばん叩き始めた。たぶん、「中に入れて」と思ったんだろう。あまり激しく叩くので、運転士は叱ろうと思って扉を開けたところ、子供が中に入り込んでしまった。叱ると泣き出し、座り込んでしまう。発車の時間は迫り、そのままでは運行の遅れが出る。やむなく彼はそのまま次の駅まで運行し、そこで子供をおろしたという。子供は座り込んだままで、計器類には一切触れていなかった。——これに対し、懲戒解雇、すなわち「クビ」という処分が出たわけだ。

この発表があって以後、「厳しすぎる」という抗議が東武鉄道に殺到したそうだ。が、会社側は今のところ、処分を撤回するつもりはないようだ。東武鉄道の運転規則には、運転室に外部の人間を入れてはならないという規定があり、今回はその規定に違反したため懲戒解雇が妥当ということだそうだ。まぁ、何もなかったからいいようなものの、万が一事故にでもつながったらえらいことだった。乗客の命を預かっているのだから、クビは当然の措置だ、というわけ。

・・なんというのかね。そりゃあ、確かに「運転士は乗客の命を預かっているのだ」というのは正しいだろう。そして「規則でそう決まっているんだ、そのことを運転士も知っていたはずだ、だからクビは当然だ」という理屈もわかる。しかし・・座り込んで動かない我が子を、一駅の間、運転室に入れて、クビ。懲戒解雇ってのは「最悪な辞め方」であって、今後数年間は職に就くことができないのはもちろん、その先も、前の職場を懲戒解雇されたことがわかれば真っ当な会社では雇ってもらえないことぐらい常識だろう。この一家の人生設計は、子供のちょっとしたいたずらで全て消えてしまうわけだ。3歳の、いたずらざかりの子供のせいで、父親が失業。「自分のせいで父親はクビになった」という十字架を背負ってこの子は生きていくことになるわけだ。

昨今の鉄道関係の事故で、規則違反などに神経過敏となっていることはよくわかる。「乗客の命」ということが声高に叫ばれるのも故あることだとは思う。が、法や規則というのは「起こったこと」に対して処罰をするのが原則である。実際に事故につながったなら厳罰は当然だろう、だが実際には何も起こらなかった。それでも厳罰に処すというのは、例えば「酒を飲んで運転するのは、人をひき殺したのと同じだ」という理屈と同じではないのか。殺人だって、やろうとしたけれど未遂に終われば罪は軽くなるのである。

また、どうも報道などから「東武鉄道には、こういう場合、懲戒解雇にするという規定があった」のだからやむを得ない、という意見が広まりつつあるようなのだけど、これは実は間違いである。東武鉄道にはそんな規則はないのだ。あるのは「こういうことは服務規定違反になる」ということと、違反した場合の処分の方法だけである。どういうときにどの処分を与えるかといった規定はない。それはすべて「会社が勝手に決めていい」ようになっているのだ。従って「規則でそうなっているからしょうがない」という考えは誤りだ。規則で決められているのは「第三者を運転室に入れてはいけない」ということだけであり、その場合にどういう処分にするかは会社側が勝手に決めているのである。その決めた結果が「懲戒免職」なのだ。ということは、つまり「決まりにあったから」ではなく、「会社側が彼をそういう目にあわせたいと思ったから」そういう処分になった、というしかない。

——だいたい、たとえ子供が何かの計器を触ってしまったとして、そんなことで大事故が起こるようなものなのか鉄道というのは。何重にも安全装置が働いているのではなかったか。何かまずいことをしたとしても、運転士がすぐさま対処すれば対応できないことはまずないんじゃないだろうか。飛行機の逆噴射とはわけが違う。何かあっても、緊急停止すればたいていは大事には至らないはずじゃないのか。それとも東武鉄道は、運転室でちょっと何かあっただけで列車が爆発したりするのか?

それ以上に僕が感じたのは、この東武鉄道という会社の体質のようなものだ。東武鉄道といえば、先の東武伊勢崎線の踏切事故がすぐに思い浮かぶ。開かずの踏切で、規則違反を犯してぎりぎりまで踏切をあけていたために起こった死亡事故だ。——これらの事故を「規則違反をするから事故につながるのだ、だから厳正に処分すべきだ」というように考える見方ももちろんあるだろう。だが、見方を変えればこうも見えるのではないか。すなわち、「この会社は、規則違反を理由に全ての責任を現場の人間に押し付けて切り捨てる会社なのだ」と。

なぜ運転士は子供を運転室に入れたまま発車したのか。それは「運行が遅れる」と思ったからだ。それはすなわち、常日頃から「絶対に列車を遅らせてはならない」という締め付けがあったのではないのか。もし、「安全第一」ということで子供を外に出してから発車し、そのために列車が遅れたら「正しい判断だった」としてお咎めなしになっただろうか。その場合でも、結局は「運行を遅らせた」として処分されたのではないか。あるいは、それ以前から運転室に誰かを入れることを黙認されていたような状況はなかったのか。それ以前に同様のケースはなかったのか、もしあったとすればそれはどう処分されたのか。

そうしたこの事件を巡る状況や原因を検討し防止策を考えるつもりもなく、ただ「この運転士が規則違反をした」ということでおしまいにしようと考えているのではないか? クビということは、「この運転士を教育し指導するつもりはない」ということだ。育てるつもりはない、そういう会社なのだ。これを「現場の状況」として真摯に受け止めようというつもりは微塵もないのだ。

法や規則は、大切である。これらはもちろん守るためにある、それは確かだ。僕は法治主義者だし、法を守ることの大切さは人並みにわかっているつもりだ。——だが、それらは「一言一句誤りなく厳密に適用し処罰する」ことが大切なのではない。「その法は、その規則は、いかなる理想のために作られたのか」というその精神を尊び、それに従い運用することこそが大切であるはずだ。そうした「こうした理想を実現するためにみんなでこの法・規則を守りながら頑張っていくのだ」ということには一切目を向けず、ただひたすらに「規則を守れ、絶対破るな、ちょっとでも破ったら厳罰だ」というのが正しいのか。逆に、そうした現場をひたすらに追いつめる態度が、先の尼崎の列車事故などを引き起こしたのではなかったか。

東武鉄道のお偉いさんたち。あなたがたはすべての法や規則を今まで何一つ破ったことはないのですか。友人からビデオを借りてそのまま返すのを忘れたことはないですか。それは窃盗です。会社のボールペンが出なくなって腹立ちまぎれに床に投げつけたことはありませんか。それは器物破損です。会社のメモ用紙に、帰りがけにスーパーで買って帰るものをメモしてポケットに入れて帰ったたことは? それは横領です。全てれっきとした犯罪です、立件し刑務所に入るべきです。・・そういわれて、あなた、納得します? あなたは、そんなにもご立派な人間なのですか?

まず、罪なき者から石を投げよ。(ヨハネの福音書) 

公開日: 金 - 11月 11, 2005 at 06:01 午後        


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