名古屋刑務所事件の判決 


名古屋刑務所で起こった殺人事件(あえてそう書く)の判決が出た。 

時間が経過しても、どうしても忘れられない事件というのがある。それは、決して世の中を震撼させた大事件というわけではない場合もあるし、自分以外の人にとってはとるに足らぬ事件であったりすることもある。——そうした「どうしても忘れられない事件」の一つであったものの判決が、昨日、出た。それは、名古屋刑務所で、刑務官が受刑者の下半身を裸にした上で消防用ホースで尻に放水をし、直腸破裂でショック死させたという事件だ。

判決は、主犯格である副看守長乙丸幹夫に対し、懲役3年、執行猶予4年というものだった。有罪となった点は評価しよう。だが、執行猶予付きとはどういうことなのか。更にいえば、求刑の時点で懲役4年という、人一人を殺したにしてはかなり軽いものだったことはどういうことだったのだろうか。

判決文を見ると、「懲らしめるため」にやったという検察側の主張を退け、「体についた汚物を除去するためだった」という弁護側の主張を取り入れている。おそらく、この点が分かれ目だったのではないか。すなわち、「最初から悪意を持ってやっていたわけではなく、業務の延長的な感覚だった」のだから執行猶予をつけてやろう、ということだったような気もする。

だが、どこの世界に「体についたウンチを洗い流すのに消防用ホースを全開にして噴射する」などという人間がいるか。普通の感覚なら、バケツに水を汲んでくればいいだけの話だ。消防ホースである。火事の際に、数十メートル先まで水圧で水をとばす、あれである。ウンチをとるのにそんなものを持ち出すなどということを裁判官は本気で信じていたのか? あなたの家では、ご飯の後、食器を洗うのに消防ホースを使うのですか?

忘れてはならないのは、これを行ったのが副看守長という、看守たちの中でもほぼ一番偉いあたりにいる人間だった、という点だ。すなわち、性格のねじくれ曲がった人間が隠れてこそこそとやったのではない、ということなのだ。しかも、事件が起こったのは独房である。大勢の服役者がいる雑居房ではなく、被害者一人だけしかいないところに、大勢の看守が集まってやったのだ。この状況から、「悪意はなかった」という結論を導きだせる理由は何なのか?

更に、彼らは当初、「現場にはプラスチック片があり、それで被害者が自分で体を傷つけた」と主張していた。更には判決後、「放水と死亡との因果関係が認められるとは思ってもみなかった」とも発言している。——だいたい、現場にはプラスチック片など見つからなかったのだ。なぜか? それは、警察が到着する前に、当の看守たちの手によって現場はきれいに片付けられて何一つ証拠となるものは残っていなかったからだ。「事件が起これば現場保存につとめる」というのは法律関係に従事する人間ならば常識なはずで、「知らずに片付けてしまった」ことはあり得ない。誰がどう見ても、明らかに「証拠隠滅」をはかっている。これほどまでに徹頭徹尾悪意に満ちた犯罪を僕は他に知らない。悪意という点では、かの池田小事件より下劣ではないか。かの事件では、少なくとも宅間被告のそれまでの生い立ちに、悪意を形成する理由となるものが見えた。だが、彼らにはそれが見えない。ただ、受刑者をおもちゃかなんぞのように思い、おもしろ半分に殺したとしか見えないのだ。

どうしても拭えない疑念がある。それは、「しょせん裁判所も身内は守りたいんだろう」という疑念である。もし、暴力団が一般市民を自分たちの事務所に連れ込み、同様のことをしたらどうだろう。まず間違いなく殺人罪で全員ぶち込まれるだろう。それが、特別公務員暴行陵虐致死罪というものになるといきなり軽くなる。——ぼくは、「特別公務員暴行陵虐」というのは、通常の罪よりも遥かに重いのだと思っていた。それが、普通の市民のケースより軽くなるとは。(「殺人罪じゃなくて致死罪なんだから・・」などとはいわないで欲しい。一般市民が同じことをしたら、傷害致死ではなく殺人罪が適用されることは明白だろう。それに特別公務員暴行陵虐殺人罪などというものはないのだから)

もし、執行猶予がつかなければ、彼らは刑務所に送られることになる。それがどういうことを意味しているのか、裁判官も薄々はわかっていたのではないか。受刑者を集団でリンチにした看守たちが、犯罪者として刑務所に送られるのである。何が起こるか想像はつくだろう。「これはまずい」と思ったのではないか。

受刑者を死亡させたとして看守が有罪判決を受けるのは、実はこれが初めてである。つまり、それまで(刑務所内で数限りない受刑者が不審な死に方をしているのにも関わらず)看守に責任があると認められたことはなかったのだ。——看守は、正直いってかなりイヤな仕事だろうと思う。少なくとも裁判官や弁護士や法務省の役人などよりは、イヤな、やりたくない仕事だろう。裁判官が高い壇の上から有罪判決を出せるのも、看守が後の受刑者の面倒を見てくれるからだ。いわば、彼らが汚い部分を全部引き受けてくれているのだ。それを考え、多少のことがあっても大目に見てやろう的な感覚がなかったか? でなければ、「今まで一度も有罪判決を受けた看守がいない」ということの説明がつかない(そもそも事件として立件されることすらほとんどない)と思うのだがどうだ。

検察側は「特別公務員暴行陵虐致死罪が認定されたことは評価している。執行猶予が付された点などについては、判決内容を詳細に検討した上で、適正に対応したい」とコメントしている。適正に対応とは、判決を不服として控訴を検討するということだろう。是非、お願いしたい。裁判所も、一市民の疑念を払拭したいと思うのであれば、どうか次はもっと一般市民の法感覚にそった判断をして欲しい。彼らをたとえ数年であってもいいから、実際に受刑者として刑務所に送ってください。

その際には、ぜひとも名古屋刑務所にお願いしたい。まだ、その当時の受刑者たちが残っているうちに。自分たちが虐げていた受刑者の立場に身を置かない限り、彼らは自分たちの成したことがどういうことか理解することはないだろうから。——もちろん、僕は人権派の人間である。死刑(私刑も)反対である。彼らにだって、人権はある。彼らとて、リンチにされていいということはない。・・ただ、世の中、止めようもないことっていうのもやっぱりある。

もし、この看守たちが、心優しい正直者たちであれば、きっととんでもないことに巻き込まれることはないだろう。が、もし巻き込まれてしまったら——そのときは、どうか、自分を呪って成仏してください。 

公開日: 土 - 11月 5, 2005 at 12:10 午後        


©