消えた違反切符 


一時停止違反で減点2、罰金7千円でした。 

昨日のことだけど、午後から親子3人で車でお出かけをしたのでした。で、途中、住宅街の抜け道を通っていたところ、いきなり「ピピーッ!」と警笛が。そう、いわゆる白バイの待ち伏せにあったのでした。——そこの手前には一時停止の標識があり、「一時停止をしていない」ということで、減点2、罰金7千円とのお達しでした。

はじめに断っておきます。僕は、自分が悪いことをしたというのはよくわかっていたし、別に反抗するつもりなどはまっっっったくなかった。その点だけは誤解しないように。一時停止をしなかったのは確かだし、その点では非は認めるつもりだった。——ただし、そこは右手方向は一方通行で車が来ることはなく、左手方向は公園になっていて見通しのよい場所だった。僕の前にはトラックが1台止まっていたという状況だったので、トラックの後ろでも左手の視界はよく見えた。つまり、確かに一時停止はしなかったが、そこは停止しなくとも視界が確認できる場所だったし、前に1台車がある状態でこちらは止まり、確認もしていた。

だから僕は、素直に免許書を差し出した。そして、当然のことながら疑問点を明確にすべく白バイ警官に尋ねた。「一時停止違反といっても、停止線にぴったり止まることは普通ありえない。ということは、どの程度の範囲内であれば一時停止したとみなされるのか、警察の統一見解を教えて欲しい。また前に車両がある場合には停止線からの距離いかんに関わらず一時停止とは見なされないのか、4輪車両であればみなされないが原付や自転車などならばあっても一時停止と見なされるのか。それから今回の措置に対する不服申し立ては所轄の簡易裁判所に行けばいいのか。教えて欲しい」

その若い警官は、「ちょっと待ってください」といってどこかへいってしまった。待つこと数分。戻ってきて「そういうことはこちらとしては『どこまで問題ない』ということは一切いえない。こちらからいえるのは、『一時停止は停止線で止まらないといけない』ということだけだ」と答えた。——そんなことはわかってる。だが法律の文言とその実際の運用は別の話だ。こちらは運用面の話をしているのだ。何度か言い方を変えて質問し直したが、そこのところがどうもうまく通じない。あくまで「運転者さんは悪かった」という返事しか反ってこない。

悪いのはわかっている、こちらは文句を言っているわけではない。だが「どこからどこまでの範囲内であれば問題ないと判断しましょう」というその基準を示してくれなければ、こちらとしても守りようがない。今後、こうした違反をしないためにも、警察の統一された見解を教えて欲しい、それでなければ守れないではないか。押し問答すること数分。結局、こちらが求めていた答えは得られなかった。その代り、なぜだか「今回のことは厳重注意ということにしておきます」ということで、減点も罰金もなしになってしまった。

罰金を払うのがいやでケチを付けていたわけではない。だからなおもしつこく食い下がったのだけど、うちの奥さんは「せっかく罰金なしにしてくれるっていうんだからこれ以上刺激しないでよ」的視線を浴びせてくるし、娘は「たいくつ〜」とばかりに寝てしまうし、なんだかこっちが悪者になった気分がしてきて、しょうがなくその場を離れたのでした。——ねぇ、オレ悪くないよね? 処分を受ける側として当然のことを要求しただけだよね?

こういう取り締まりは点数制になっているからたくさん捕まえないといけない、みたいなことはよく耳にする。「げっ、なんかうるさいおっさん捕まえちゃったよ。こんなの相手にしてる間にどんどん車が通っていっちゃうよ。あ〜もういいや、早いとこ帰ってもらおう」と思ったか、上司に無線で問い合わせてるときに「不服申し立てとか、簡易裁判所とかいってます。なんかそういうの詳しいみたいですよ。どうします?」「あ〜面倒くせえな、逃がしちゃえそいつ」といわれたか、どういう状況かはわからないけど、明らかに減点2罰金7千円という処分であったはずのものは、言い渡された後になぜか「なし」になってしまった。どうしても釈然としないものが残る。なぜだ? 僕は、違反をしたはずである。それを見つけた以上、減点すべきではないのか。言い渡す前に「本来は減点だが、今回は厳重注意としておきます」というならばわかる。言い渡し、それが確定した後に撤回するのはどうなんだ?

こうして世の中には「ごね得」という意識が蔓延していく。「ケチつければあきらめる」という感覚が広まっていく(もっとも、こちらは「ケチ」をつけたわけではない。当然受けられるはずの説明を求めただけだ)。奥さんは「パパが日頃からいってることは正しかったね。人間、何事も最後まであきらめちゃダメね」と喜び、罰金を払わずに済んだんだから、そのお金でおいしいものでも食べにいこうかしら。残りで布でも買ってもらっちゃおうかしら的な妄想で瞳をキラキラさせていたようだが、そういう問題ではないのだ。

なぜ、法の執行者たるはずの警察官が、法の解釈について一般市民と議論することを嫌うのだ? 法に基づいて取り締まりをしているのであるならば、その法に関する限り、しっかりとした知識を身につけ、必要とあらばいつでも説明する義務があるのではないか? そのために、自分が担当する範囲の法律を学んでおくぐらいは当然するべきではないのか?

これが一般企業であったらどうだろう。ある専門知識を必要とする業務を担当することになったら、「こうすればいいってことは決まってるんだから、別に調べる必要なんてねーや」などと思うだろうか。取引先やお客にどこをどう突っ込まれるかわからない、ともかく一通りのことは勉強しておかねば、と思うのが当たり前ではないだろうか。自分がうまく説明できなければ、単に自分の評判だけでなく、自分の会社や、扱う製品の評判まで落とすことになるのだから。

僕は、議論が好きである。何か疑問と思うことにぶつかり、それが気になったら、納得するまで話をするタイプである。だが、少なくとも論理的に正しくないことをごり押ししたりすることはない。きちんと納得できる説明があればそれで終わりにする。こちらとしては、納得したいだけなのだ。「これこれこういう理由でこのことは正しいのです」というきちんとした説明を聞きたいだけなのだ。なぜ、それを面倒がるのだ?

警察だけではない。NHKにしたところで、きちんと納得できるだけの説明があれば契約拒否などしないはずなのだ。決して僕は怒りっぽい人間ではない。ただ、「その職務にある人間は、職務に対し正しく理解し説明する義務を追う」という当たり前のことを求めているだけだ。もっと、説明して欲しい。説明を求める声を、面倒だと思うことはやめてほしい。「理解してもらうこと」なしには、何事も前に進まないのだ。そのことをもっと真剣に考えて欲しいと思うのだ。

・・というわけで。罰金払わないで済んだ分、今日のお昼は外食〜っ! わーい! 

公開日: 土 - 11月 5, 2005 at 10:32 午前        


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