死刑反対発言の波紋 


新発言撤回のほうでなく、その内容の方にもっと目を向けて欲しいんだけどね。 

内閣改造で新たに法務大臣に就任した杉浦正健氏が「死刑執行にはサインしない」と発言したことが大きな波紋を呼んでいる。ただそういっただけならまだしも、その1時間後に発言を撤回してしまったのだ。これが、死刑賛成派にも反対派にも「おいおい・・」と思わせることになってしまった。余計なこといわなきゃよかったのに・・と思う人は多いだろう。

だがね。撤回したとはいえ、また個人の見解であり法務大臣の職務とは別だと釈明したとはいえ、仮にも法務大臣となる人間が「自分は死刑廃止論者だ」ということを公の席で表明したということそのものを、僕は讃えたいのだ。90年に法務大臣に就任した左藤恵氏が死刑執行のサインを拒み続けたことはあったけれど、法務大臣が就任時に死刑執行を拒否する発言をしたのは、おそらく歴史上初めてではないか。杉浦法相は、今日になってあらためて、個人的な見解としつつも死刑制度に否定的な見解を述べている。大臣になって舞い上がってあることないこと発言しちゃったという杉村太蔵的発言ではなく、やはり昔からの一貫した考えであることは明白だろう。

——ここしばらくの間、法務大臣に就任した人間は必ず任期中に死刑の執行を行うのが定例となっていた。これはただ単に「何名が殺された」というだけの問題じゃない。執行することで「死刑制度は日本の中で定着しているのだ、行政府も国民もこの死刑制度を支持しているのだ」ということを意思表示していたのだと僕は思う。そこに死刑廃止を唱える人物がやってきた。そのことだけでも大きな意味はある。ひょっとしたら、ここしばらくの流れを変える一つのきっかけとなるのではないか、と期待することぐらいはできる。

それなのに、だ。この発言を巡る報道を見ていると、この「発言をすぐに撤回した」ということばかりを取り上げ、「大臣としての資質うんぬん」ばかりなのはどういうわけなのか。法務大臣が「他人の命を奪うということは理由の如何に関わらず許すべからざることだ」といった、そのことの意味をなぜ論じないのだ? 死刑執行の問題より、大臣の失言の方が重大だと思っているのか? それとも、どのメディアもみんな揃いも揃って「死刑執行賛成」なのか?

なにより、なぜ1時間後に訂正することになったのか、その裏側をメディアはなぜ探らないのだ。一体、どういう圧力があったのか。誰が、どこからかけたのか。1時間の間に何があったのか。「たまたま本人が自分の発言が適切でなかったと気がついたんだろ」などとのーてんきなことをいわないで欲しい。物事には、必ず表と裏がある。殊に、政治の世界において裏のない発言などないと考えて行動するのがジャーナリストの基本ではないのか?

「法務大臣に死刑反対論者が就任する」という前代未聞のことが起こったのだ。どうか、一時の失言ですませないで欲しい。——僕は、とても恐れているのだ。「しょせん、テレビも新聞も、死刑反対がどうかなんてことは本当はどーでもいいんじゃないか」ということを。死刑反対では視聴率はとれない、部数は伸びない。なにより、これは多くの人に不快な気分を抱かせる問題なのは確かだろう。死刑反対とは、いわば「悪人を助ける」ための考えだ。被害者はもちろん、加害者の非道に怒り「死刑にしろ!」と声高に叫ぶ安易なその場限りのヒューマニズムに酔いしれる人々には受け入れがたい考えだ。深入りするだけイヤな思いをする、そういう代物だ。死刑反対を叫ぶ人ならみんなそのことを知っている。日本において死刑反対は人でなし呼ばわりされるということを。

だからこそ、こういうときにメディアの本当の資質が問われるのではないかと思う。どうか、これを機に、死刑制度というものをもっと本気で考え伝えて欲しい。どうか逃げないで欲しい。頼むよほんと。


ちなみに。ここで改めて書いておこう。
僕は、死刑制度には反対です。
これは、明日のブログで撤回したりはしませんよ、たぶん(←おい)。 

公開日: 火 - 11月 1, 2005 at 05:09 午後        


©