作ったのは誰なのか 


東証システムダウン。作ったのは、「本当は」誰なのだろう。 

お昼にテレビのニュースを何気なく見ていると、東証のシステム停止のニュースが飛び込んできた。原因はプログラムの欠陥とのことで、東証は開発した会社に損害賠償を求めることも検討しているそうだ。東証が一日のシステム停止で受ける損害額はどのぐらいだろう・・とぼんやり考えてみて頭がくらくらしてきた。きっと百億万億万億兆百千億万億万円ぐらいするんじゃなかろか。(←小学生か)

実をいえば、今日は僕がしばらく前に請け負って作成したWebサイトの開設の日でもあったのでした。まぁ不動産関係の検索システムの部分をこっちで請け負ったのだけど、東証に比べれば圧倒的に小規模ではあっても、新サイトのオープンというのは緊張するものだ。朝起きてメールをチェックしたら不具合の報告メールが百億万通も来ていたらどうしよう・・などと思っていたのだけど、幸いにそういうこともなく無事に動き出した。やれやれ。

それにしても、だ。こういうものを見るにつけ、つくづくと思うのは「それを作っているのは本当は誰なのか?」ということだ。東証のシステムといっても、別に東証が作っているわけではない。他の会社が請け負って作っているわけだね。更にいえば、その請け負った会社が作っているかどうかも実はわからない。孫請けに丸投げ発注しているだけなのかも知れないのだから。更には、契約でやってきた常駐プログラマが次々と入れ替わりながら作ったのかも知れない。そうなったらもう「本当に作った人」なんてものは金輪際わからないことになりはしないか。

——Webシステムに限らない。昔はソニーの製品といえばソニーが、ナショナルならナショナルが作っているということはいうまでもない当然のことだった。けれど今、ソニーの製品は本当にソニーが作っているだろうか? よく見てみると、ソニーはただ「組み立て」をしているだけで、そのほとんどは聞いたこともない会社が作っていたりすることが多くないだろうか。場合によっては、どこかの国の会社が作った製品に「SONY」のロゴを貼るだけの作業しかしていない、なんてこともありはしないか。

僕らは普段、あらゆる製品を「作った会社」のブランドによって評価している。ソニーならば「ソニーだから・・」という目で見、アップルなら「アップルだから・・」という目で見ている。ブランドなんて意識しないという人にしたところで、どこかで「その製品は誰が作ったものか」を考えることはあるはずなのだ。——が、その「作った人」は、はたしてどこまで「作った人」なのだろうか。実は全体の1割に見たないものしか作っていない人が「作った人」として名乗っている、それが実情なのではないか。

この高度に複雑化された社会で、僕らは、果たしてたった一人で何をどこまで作り得るのだろうか。「いや、絵や音楽や詩や小説は全部自分で作れる」という人もいるかも知れない。だが、本当にそうだろうか。——Webで山のように見つかる「個人が作った作品」の多くは、どこかで見たことのあるものの焼き直しだったりしないか? 他人の作ったフリー素材を組み合わせて「ボクの作品です」といっている人は案外多いんじゃないか?

それはどこまでオリジナルか。それはどこまで本当にその人が作ったものなのか。そういうことを見極められる人間でありたいものだ、とつくづくと思うのでした。まぁ、確かに「その本当の作者は誰か」など考えなくても世の中困りはしない。けれど、例えば東証のトラブルのように、何か問題が起こったとき、「本当の作者」までたどり着けないとしたら、果たして誰がどう責任を取ってくれるのだろう。

誰が本当の作者がわからないということは、誰が本当の責任を取ってくれるのかわからない、ということではないのだろうか。もしそうだとしたら——僕らは、今、とんでもない無責任な製品たちに囲まれて暮らしているのかも知れない。 

公開日: 火 - 11月 1, 2005 at 04:11 午後        


©