お金持ち万歳! 


・・な世の中になりつつあるのだね。 

・・やれやれ。抱えていた開発案件が一区切りついいたので、ちょっと前に新聞で見たことについて書いてみる。

それは「お金持ち」に対する印象の変化、みたいなものについての記事だったのだけどね。お金持ちというものに対する意識が昔と今ではずいぶんと変わってきている。昔は「成金」なんていうように、急にお金持ちになった人を軽蔑するような風潮が強かったけれど、昨今ではホリえもんが子供たちのアイドル(?)になったり、一代でお金持ちになった人がアイドル化している、とのこと。

そういわれてみれば、最近は実にあっけらかんと「お金持ち大好き」なことを公言する人が増えた。例えば、親の金をそのまま引き継いだだけのような人だと、「おめーは能力もねーのにえらそーにすんじゃねー」的な反感を感じる人は国民の98.75%にのぼるだろうけど(←多すぎ)、自分の力で金を稼いだ人にたいしては「ま、実力で稼いだんだから」と肯定的に見る向きも多いような気がする。

だが、ご本人である現代のお金持ちたちのインタビューなどを読むうちに、ちょっと「これは?」という感じがしてきたのだ。——それは、グッドウィルグループの社長・折口雅博氏の台詞だ。彼はこんなことをいっていた。「今は、誰でもみんな同じスタートラインにたち、頑張っただけ先へ進める時代になっている。努力すれば誰にだってチャンスはある」と。

「へ〜、その通りじゃん。何がおかしいの?」と感じた人。そうなのか? 今の世の中はそういう世の中なのか? 断じて違う。彼は、「誰もが同じスタートライン」にたっている、と勘違いしている。自分が成功したのは、自分の力と、自分の努力の結果なのだ、と思い込んでいる。——冗談ではない。

彼は、自分が恵まれた境遇にあることを、だからこそ成功できたことを知らないのだ。大学卒業後、日商岩井に入り、かのジュリアナ東京を手がけ、独立して成功する。確かに彼の実力も大きかっただろう。——では、彼の両親が在日朝鮮人だったら同じように成功しただろうか。生後間もなく癩病(あえて旧名で書く)と診断され隔離されていたらどうだったか。幼い頃に大病で全盲になっていたらどうか。通り魔に硫酸をかけられ焼けただれた顔面になっていたらどうだったか。

むろん、「それは極論だ」といわれればその通りだ。多くの人々は、だいたい同じぐらいのスタートラインにある。それは確かろう。だが、それはあくまで「だいたい」だ。経済的な理由、親や周囲の環境、通った学校と出会った友達、自分の力とは関係のないあらゆるところで人間には差が生じる。それらを「些細なこと」と切り捨て、「みんな平等だ」と言い切る人間が成功者であることを、僕は極めて不快に感じる。

「みんなスタートラインは同じなのだ」「努力しただけ先へ進むのだ」——それはほんのわずか見方を変えれば、「だから、成功しなかった人間は努力しなかった奴なのだ」「貧しいのは本人が悪いのだ」という考えに容易に変化し得る。成功し社会の頂点に立つべき人間がそうした考え方を何の疑問もなくもっている、そういう世の中に生きていることに僕は恐怖する。

自分より下にいる人間をすべて「劣っているからそこにいるのだ」と考える人間の下で生きることはつらいだろう。そして、そういう考えのプチお金持ちが続々と登場し、そうした人間たちが世の中を動かすようになりつつあるとしたら・・。

うん。やっぱり、金持ちは「蔑して遠ざける」のが正しいあり方なのだ。そうして金持ちが貧乏人を見下し、貧乏人が金持ちを軽蔑することで世の中の均衡はかろうじて保たれるのだきっと。みんな、もう少し、現代のお金持ちに対し辛辣な目を持とう。もっと厳しい目を持とう。心配ない、君はきっと、その対象には含まれないから。 

公開日: 水 - 10月 5, 2005 at 01:34 午後        


©