勘違いさせる報道
女子高生殺人事件で「不法滞在スリランカ人」を逮捕。——と勘違いさせる報道。
茨城県で起こった女子高生殺人事件で、彼女の持っていた携帯電話の名義が不法滞在のスリランカ人だったというんで、県警がまず不法滞在でそのスリランカ人を逮捕し、この事件についても追求している、といった報道がなされていた。そこには、こう見出しが躍っていた。
「女子高生殺害、携帯電話を与えた不法滞在スリランカ人を逮捕」
——これは、普通に見れば誰だって「不法滞在していたスリランカ人が女子高生殺害の容疑者として逮捕された」と考えるだろう。が、実際は「不法滞在の現行犯」で逮捕したのであり、現時点では女子高生殺害については単なる参考人以上ではない。けれど、こう報道されてしまうことで、見た側は「こいつが犯人だ」と思ってしまう。
僕が不快だったのは、「不法滞在のスリランカ人」ということを強調することで、いかにも「こいつは悪そうなやつなんだ」といったニュアンスを報道する側が付加しようとしているんじゃないか、と感じたことだ。確かに不法滞在は罪だが、日本においては正当なる理由で日本にとどまりたいと思う多くの外国人を官庁が受け入れないために不法滞在とされてしまっている人も多数いることを忘れてはならない。確かに最近、不法滞在外国人の犯罪が増えてはいる、だからといっていかにも「不法滞在=どうせ犯罪者に決まっている」という偏見を助長するようなことを報道する側がしてどーするんだ?
そんなことより、報道機関が目を向けるべきことは他にあるのではないか。——これは、誰がどう見ても典型的な「別件逮捕」である。別件逮捕は被疑者の人権や不当な取り調べにつながる等の点で大きな問題があり、禁ずるべきものだ。そうしたことへの疑問や警告を、なぜどの報道機関も口にしないのか。ジャーナリズムとは、権力に対峙して弱者を守るためにこそ機能すべきものではないのか。それを、警察という国家権力に追随するかのような報道しかできないのはなぜなんだ?
かつて、松本サリン事件で河野さんが犯人扱いされて以降、多くのマスメディアはこうした犯人扱いする報道について慎重になって来た、といわれている。けれど、それは本当だろうか。「誰もが良識ある一般市民として受け入れられるような被疑者に対してのみ」慎重になっているんじゃないのか。例えば、今回のように被疑者が「不法滞在の外国人」となると、途端に昔の「どーせこいつがやったんだろ」といった報道に戻ったりしてないだろうか。
硬派な報道機関が少なくなって来た、そう思う。気骨のあるジャーナリストが減って来たのだろうか。特にテレビでは、視聴率ばかり気にするニュース番組も増えて来た。報道番組が視聴率を競ってどーすんだよ。たとえ国民すべてから白い目を向けられても報道しなければいけないこと、訴えなければいけないことは堂々と述べる、それがジャーナリズムではないのか。
最近、そうしたジャーナリストとしての視点を見失った、というより「もともとそんな視点を持ってない」人間がジャーナリストでございと出てくることが多い気がする。人気が出て来たら参議院に立候補しよう、てな考えのジャーナリストが増えていないか? 権力にあこがれるような人間はとっとと報道機関から足を洗いなさい。そんな人間に報道されてたまるものか。
公開日: 木 - 6月 24, 2004 at 11:40 午前