後は野となれ


めぐみさんは生きている。そういう前提で交渉する。・・で、その後は一体、どうするつもりなのだろう。

このところ、またぞろ北朝鮮の問題が新聞の紙面をにぎわしてますわね。横田めぐみさんの遺骨といわれてるものが鑑定の結果、別人のものと判明したということで、めぐみさんのご両親を中心にさまざまなところでまた厳しい意見が出て来ております。——ただ、政府の方は思ったより冷静さが残っているみたいで、いきなり総理が「経済制裁」などと口走ったりするわけではなく、「とりあえずそれも視野に入れながらすべての調査結果が出てから判断する」という感じのようで、多少は安心した。

ただ、やっぱり政府や与党の中には極論を口にする人もたくさんいる。今日のニュースでちょっと驚いたのは、自民党の安倍幹事長代理。フジテレビの「報道2001」に出演して、「今後は、めぐみさんが生存していることを前提に交渉すべきだ」と発言して、それがニュースになっておりました。それを見て、うーんと思ってしまったんだよね。

「この人は生きているのか?はっきりと調査しろ」と要求する。それに対し、「既に死んでいる」と答えてくる。その証拠というものが偽物だったことで「やっぱり嘘だった」だから今後は「生きている」という前提で交渉する。——どっかで何かすり替わってないだろうか? 亡くなっているという証拠が偽物だった→だから死んでいるというのは嘘だ→だから生きている、というのはどこかおかしくない? 確かに「亡くなった」という証拠は偽物だった、だがだからといって「生きている」証拠が出て来たわけではない。要するに「亡くなった、というはっきりした証拠がまだない」という状況に戻っただけなのだよね。生きている確証が得られたわけではないんだよね。

まぁ、実際に生存しているかどうかという問題はおこう。ここで話してどうなるものでもないからね。僕が「うーん」と思ってしまったのは、「この安倍という人の中には、北朝鮮との間には『拉致された人間が生きているか否か』『生きて日本に戻れるか否か』ということだけしか話が存在していないと考えているんじゃないか?」と思えたからだ。——拉致問題が重要なのはわかる。わかるが、ちょっとだけその問題を脇に置いて、改めて考えてみようじゃないか。

そもそも日本は、北朝鮮との関係をどうしようと思っているのだろうか。北朝鮮とさまざまな交渉をするというのは、つまり「両国の関係についてこれこれこういうふうにしたい」とものがあるわけで、そのために外交交渉をしているわけだよね? その「国交をどうするか」という目標の妨げとなる問題として、拉致問題やその他の問題があるわけだよね? だが、安倍氏のいっていることなどを聞いていると、まるで「拉致問題が解決したら、それで終わり」と考えているように見えてしまうのだ。

仮に、拉致問題が劇的な展開によってすべて解決した!としよう(まぁ、あり得ないといわれるかも知れないけど)。そうなったとしたら、それから「両国の関係」はどうするつもりなのだろう? それが、僕にはまったく見えないのだ。北朝鮮との関係をどうしたいと思っているから交渉を行なっているのか? その根本をもう一度改めて思い出す必要があるんじゃないか。——そして忘れてならないのは、この問題について考える権利は、日本だけにあるわけじゃない。北朝鮮にも、「日本とどう交渉するか」を決める権利はあるのだよね。(「そんなものはない!」などといわないで欲しい。どんな国であれ、独立国である以上、その国の意思は尊重されねばならないのだ)

拉致問題だけを前面に押し出す人のいうことを聞いていると、どうも「拉致問題が解決したら、もう北朝鮮には用はない」と思っているように聞こえてしまうのだ。もし、本気でそう思っているのだとしたら、あえていおう。日本に、北朝鮮を責める資格などない。自分の身に置き換えて考えて欲しい。「この問題さえ解決すれば、もうお前らに用はない」と考えている国と、本気で相手をできるものだろうか。
 ——子供の頃、こういういじめっ子とかいなかった?
「ジャンケンで勝ったらいいものやる。その代り、負けたらビンタな」
「いいものって、なに?」
「それは勝ったら教えてやる」
 ・・こういう態度の人間を、信用できる? 日本の北朝鮮に対する態度っていうのは、ひょっとしてこういう感じのものだったりしないだろうか。問題が解決した後のことは何も提示せず、「とにかく解決だ。そうしたら教えてやる」という態度。違うだろうか?

拉致問題だけを声高に叫ぶ方々へ。もし、拉致問題を進展させたいのであれば、「それが解決した後、我々はかの国とこんなふうな付き合いをしたいのだ」というビジョンを明確に見せて下さい。「拉致問題が解決してからだ、そんなものは」というのであれば、そんな危うい交渉に乗ってくる国などいないだろう。拉致問題を語るためには、その向こう側にこうした世界があるのだ、ということをしっかりと両国に見せて欲しいのだ。日本の一部の人間のためだけでなく、北朝鮮に暮らす人々にとっても「こんな世界が待っているんだ」ということがなければ、国と国とが苦労して交渉する意義などない。誰のための交渉、何のための交渉なのか。こういう時期だからこそ、そうした一番根本のところをもう一度よく考えてみようじゃないか。

人と人との交渉は、「あなたにとってもこういうことがあるんですよ」ということをお互いに納得しなければできるものじゃない。そうじゃないか? 自分にとってのみ利益があり、相手のことなど何も考えない交渉などあり得ない。そのことをよく考えて欲しいのだ。

公開日: 日 - 12月 12, 2004 at 04:19 午後        


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