「もの」への批判と「ひと」への批判


ある「もの」への批判と、それを支持する「ひと」への批判は違う。
だけど、ついこれをごっちゃにしてしまうことってよくある。注意しないとね。

ちょっと最近の出来事で、このことを考えるようになった。——例えば、ある商品や、ある思想や、ある集団への批判のようなものをしていたとしよう。そのとき、ふと気がつくと、それ自体ではなく、それを支持している人々(つまり自分と反対の意見の人々)への批判になっていることに気づくことがないだろうか。

例えば、もうすぐ選挙だけど、「自民党への批判」と、「自民党を支持する人への批判」は違う。ところが、自民党を支持する人と論争すると、ふと気づけば相手の人格攻撃になっていたりする。「結局、自民党を支持する人間なんてのは××な連中なんだよな」みたいにね。これ、自分でもよくやっちゃうんで注意しないといけないと常々思いつつも、なかなかなおらない。

「私は君の意見には反対である。だが、君が意見を述べる権利は命に代えても守る」——これが民主主義の原点である、とオレは教わった。だけど時として人間は「意見に反対する」のではなく「反対する意見を封殺する」ために動いていたりすることがある。「相手を論破する」はずが「相手を黙らせる」ことを目的にしていたりする。

自分の敵(?)は何なのか。戦うべきは何なのか。戦うときは、常に頭の片隅でそのことを考えていないといけない。——いや、何いってるかわかんないよね。まぁ、これは自分自身への戒めをこめて、ここにメモ書きしているだけなんだよ。

公開日: 水 - 11月 5, 2003 at 04:32 午後        


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