ヒッキーについて


なんでも、関係者の間では、引きこもりをこう呼ぶそうだ。おいおい・・。
でも、なぜに人は引きこもったりするのだろうね。

最近、「引きこもり」という言葉を目にすることが増えてきた。NHK教育で引きこもり関係の特別番組をやったり、引きこもり支援の団体が増えてきたり。今朝も新聞にそうした関連の記事が掲載されていた。

この「大人の引きこもり」という現象が、どうにもうまく理解できない。引きこもりと一口に言ってもいろいろあるだろうけど、僕がいうのは「鬱病」とかそういった精神的な疾患で外に出られないということではなく、心理的に引きこもってしまった人たちのこと。——自分にも、そういう「人と交わりたくない、一人きりでいたい」という時期があった。が、結局、引きこもりにはならなかった。なぜか? 理由は簡単だ。餓死するから。だって働かなかったら生きていけないじゃん。人間、「死にたくない」という本能より強い意志なんてのはそうそう持てないものだ。

その他の精神的なことに起因する社会現象と比べて、引きこもりというのがどうも僕ら一般の人間たちにうまく理解できないのは、そのあたりにあるんじゃないだろうか。つまり、「甘えだろ」という感覚が。——例えば、現在の「大人の引きこもり」の人たちの中で、両親とも死別している人はどのぐらいいるんだろうか。また、これだけ「引きこもり」がたくさんいるのに、例えば「引きこもりが原因で餓死」とかいう事件が一件も発生していないのはなぜだろう。拒食症だとか鬱だとか、そうしたものと根本的に異なるものを、そのあたりに感じてしまうのだ。

多分、僕は引きこもりの実態というのをあまりよく知らないのかもしれない。本人には他人からは想像もできない大変な苦労があるのかもしれない。でも、君は知っているだろうか。引きこもらず社会の中で生きていくにも、「引きこもり」の人には想像もできない大変な苦労があるってことを。——何かの番組で、引きこもりの人が取材に応じてこんなことをいっていたのをぼんやりと覚えている。「自分は、他の人みたいに自分を殺して他人とうまくやっていくことがどうしてもできなかった」というようなこと。

みんな、自分を殺して他人に合わせて生きている。そう思っているとしたらそれは間違いだ。自分を殺せずに、他人に合わせることができずに、でも生きていかなきゃいけないからみんなこんなに苦労しているんじゃないか。——引きこもりの人にはそれなりの理由があるんだろう。でも、引きこもれずに生きていく人にもそれなりの理由があるんだ。

引きこもっている人にどうか一つだけ気づいて欲しい。君と僕らの間に、おそらく精神的な違いというのはないってことを。君のほうが傷つきやすい、社会で生活できている人のほうが精神的に強い、そんな考えは多分、間違いだ。君と僕の違いはただ一つしかない。それは、「僕らは、引きこもっては生きていけない」という点だけだ。

僕らだって傷つく。つらく、苦しいことだって山ほどある。人に会いたくなくて閉じこもってしまいたいことだって幾度とある。だけど、僕らは生きていかなきゃいけない。君には、自分で努力して生きようとしなくとも、君を生かしてくれる人間がいる。それだけのことだ。——多分、僕は「引きこもり」の本当のことなど何もわかってない。だから、間違ったことをいっていたらどうか教えて欲しい。ただし、今ではない。君の両親が亡くなり、君自身が自分の手で稼がなければ生きていけないようになったときに。

公開日: 日 - 2月 1, 2004 at 11:20 午前        


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