正義のため
たかが株式会社が正義の味方を気取るのか・・。
ライブドアvs.フジテレビのニッポン放送株争奪戦がとりあえず一区切りついたみたいだ。フジテレビは株主総会での特別決議における拒否権を得られる議決権の3分の1以上を取得するのに成功したそうだが、ライブドアも着々と買い進めて45%を超え5割を超えそうな感じだ。ま、どーなるかわからないけど、相変わらずライブドアはいろいろと面白いものを見せてくれるところだね。
今回の一連の騒動でどうもよくわからない点があった。それは、「なぜ、ライブドアがニッポン放送を経営してはいけないのか?」ということ。フジテレビもニッポン放送も、その他政界財界のあらゆるところでライブドアバッシングがあった。「ライブドアは放送局を経営するということがわかってない」という、「ライブドアはものを知らない」的な批判はたくさんあったんだけど、「なぜ、ライブドアが経営するといけないのか」ということをきちんと説明できた人はいなかったんでないか?
「ライブドアに経営が移れば、フジサンケイグループは取引を停止するといってる。これは企業価値も下げることになるし、運営が行き詰まる」とはニッポン放送の言い分。なるほど、それはあるだろう。だが、なぜ「ライブドアになったら取引を停止する」のだろう。フジサンケイグループってのは、グループ外の企業とは一切取引をしない超閉鎖的なグループなのか? あるいは、ライブドアの株式取得のやり方が問題だという意見もあるだろう。だが、それと「だからライブドアに乗っ取られてはいけない」ということがよくわからない。
TBSが独自に行なった世論調査では、ライブドアのやり方を「理解できる、支持する」という人間が、「理解できない、支持しない」という人を上回ったという。逆に、フジテレビのやり方を支持する人よりも支持しない人の方が多かった。ということは、ごく普通の人は、フジテレビよりライブドアの方が「理解できる、支持できる」と考えているということだろう。理解できない、支持できないというのは、政界や財界の一部の人間だけなのではないか。
フジテレビの社長がテレビに出てきたり、ニッポン放送のお偉方の発言が新聞に出たりする度に思ったこと。それは、「この会社は、一体誰のものなのだろう」ということだった。この会社とは、フジテレビであり、ニッポン放送のことだ。彼らは一様に「絶対にライブドアは許せない」といい、ライブドアと話をすることすら拒否した。「社員もみんな、フジサンケイグループに残りたいといっている」と、まるで見てきたような嘘をしゃあしゃあといっている(あんたは全社員と面接したんか)。
会社は、社長のものなのか? 違う。では、社員のものなのか? 違う。会社は、少なくとも「株式会社」は、株主のものだ。違うのか? そうでしょ? 既にライブドアは45%もの株を握っている。ならば、ニッポン放送は、45%は「ライブドアのもの」じゃないか。そう考えるのは、別におかしな見方でもあるまい。その「持ち主」に対して、たかが雇われ社長が、なんでああも横柄な口をきくのだろう。それが僕には全く理解できないのだ。
まぁ、この社長は置いとこう。誰が見ても、人を見下してモノをいう、横柄な人間であることはわかるからね。僕がちょっとイラッとしたのは、インタビューに答えていたフジテレビの社員だった。その人は、こういっていたのだ。「私たちは、公共のために一所懸命頑張っているのに・・」というようなことを。
それのどこが変なんだ? 立派なことじゃないか、そう思うかも知れない。確かに、立派なことだと思うよ、それが事実ならば。——だが、僕にはそうは思えない。フジテレビに働くほとんどの人間、それは「視聴率」や「利益」のことは考えても、「自分たちの作った番組が公共のためにどう意味があるか」など考えてはいないのではないか。
例えば、新聞などを見ると、その中でわずかにだけど「利益や発行部数などに関係なく、これだけはこの新聞で堅持しなければならないのだ」と思える記事がいくつか見られる。そこに、僕は新聞社の良心のようなものを辛うじて感じる。——だが、フジテレビの番組の中で、果たして「たとえ視聴率が悪かろうと利益になるまいと、これだけは公共のためにやらなければならないのだ」と放映されている番組があるのか。僕には、そんなものはない、としか思えない。もしあるとするならば教えて欲しい。そしてフジテレビの社員の皆さん。あなたが今までに「会社の利益など度外視して、世の中のために作らなければならない」と思って作った番組があるなら是非教えて欲しい。
正義を振りかざすには、条件がある。それは「自分にその正義を振りかざす資格があるか」を十分に考えなければならない、ということ。僕は思うのだ。自分が行動で示した以上の正義を口先だけで振りかざしてはならない、と。小さな行動しか示せない人間が、大きすぎる正義を口にすると、その正義に対する信頼はあっという間に損なわれてしまう。
フジテレビの行動が僕にとって常に不快なのは、彼らが「自分たちが今まできちんと示してきたことのない正義を口先だけで振りかざしていること」にあるのだろう。そのようなものを振りかざして「正義は我にあり」という人間を僕は信じない。
少なくともライブドアは、「会社の利益=株主の利益のため」という、自分たちがそれまで実践してきた正義だけをもって自分たちの行動の正しさを主張している。そこに僕は彼らの良心のようなものをちょこっとだけ感じる。必要以上に自分を立派な代物に見せないだけ、彼らの方がマシに思えるのは僕だけではあるまい。
公開日: 水 - 3月 9, 2005 at 07:12 午後