フリー募金・・??


お金のかからない募金というのがある。
だけどこれって、募金なの??

嫁が巡回しているサイトで「フリー募金」というのが話題になっていたそうだ。で、「こういうの、どう思う?」というので見てみた。(http://www.dff.jp/)

なるほど、これは面白いシステムだ。要するに、「クリックするだけで募金ができる」というサイト。といっても、募金するのは「クリックした人」ではない。クリックすると、1クリックに付き1円が、スポンサー企業からNPO団体へと寄付されるという仕組み。大勢がたくさんクリックするほど、寄付される金額は増えていく。ふむ、こういうシステムがあるとは思わなかった。考えだした人はなかなかのアイデアマンだよ。

ただ、くだんのサイトでは、「私も毎日クリックして募金してます!」というような感じで、いかにも「私ってばこうやって慈善事業に参加しているの」的なニュアンスで盛り上がっているようで、ちょっと???と思ったのだ。募金しているのは、スポンサー企業でしょ? クリックした人が募金しているわけではないんだよね。——嫁が、「これって署名運動みたいなもんじゃない?」といってた。うまいことをいう。確かに、署名をするのは良い行いだろうけど、本当に善行(?)を行なっているのは、署名活動をしている人であって、署名した人ではない。署名した人は、署名活動をしている人たちに「ちょっとだけ」協力しただけであって、それで「私は署名活動のボランティアに参加したんです」とは、普通いわないよね。

もちろん、フリー募金のサイトでクリックするのは悪いことじゃない。よいことだと思うよ。だけど、それは、実際に自分が募金したりするのとは質の違うものじゃないだろうか。——僕の中には、なんというか「善行も悪行も、自分の手を汚してこそ意味がある」というような思いがある。(・・待てよ、善行で「手を汚す」ってのは変か。ま、いいや)自分では何も行動せず、他人にやらせて「いいことをした」とか「悪いことをした」というのは片腹痛い。僕だったら恥ずかしくて、とても他人に「よいことをしました」なんていえない。「この程度のことしかできなくて本当にお恥ずかしい・・」という気持ちがどうしてもつきまとってしまう。

インターネットで募金をしたいなら、ユニセフのサイトにいけば募金の方法など詳しく出ている。だけど、そういうのをやるまでには至らない。単に「クリックするだけ」なら、お金もかからないし、面倒もない、そして「自分はいいことをした」と自己満足に浸れる。そう、自己満足だよそれは。——例えば、ある人が「一定間隔でそのサイトの募金ボタンをクリックするプログラム」を作ったとしよう。それをフリーでばらまいたとしよう。すると、人はそれをダウンロードして起動しておけば、黙っていても「いい行ない」をし続けてくれるわけだ。・・ねえ、そういうのが本当に「いい行ない」っていえると思う? その場合の「いい行ない」ってのは、何を指すの? そのプログラムをダウンロードしたこと? それをダブルクリックして起動したこと? それとも、「これで、よいことができる」と思った自分の気持ち?

フリー募金自体はとてもいいアイデアだ。だけど、そういうものばかりが一般化し、「こういうのがいい行いをするってことだ」というように錯覚されてしまうのが怖い。お金もかからず、苦労もせず、面倒な思いもなく「いいこと」や「悪いこと」ができる、というのは錯覚だ。でも、その「錯覚」が「本物」にすり替わってしまうようなことになったら・・。

短期的には「なにもしないで、いいことができる(と錯覚できる)」というのはよいことだろう。少なくとも、それが結果的によいことにつながっているのだから。だけど長期的には「苦労して初めていいことも悪いこともできるんだ」とみんなが思える社会を作ることのほうが正しいアプローチじゃないだろうか。なんてことを思ったのでした。


決して、「フリー募金」を貶めるつもりはありません。どうぞ、皆さんも是非ご参加を。——ただし、それで「いいことをした」かのように錯覚しないように注意しましょう。これを足がかりに、本当の「いいこと」をしよう、と気持ちが向くようになれば、何よりです。

公開日: 月 - 1月 12, 2004 at 03:14 午後        


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