植草教授の会見


痴漢行為とかで捕まった植草教授の公判があったそうだね。

昨日の夜になるけど、久しぶりに(ほんと〜に久々に)報道ステーションを見ていると、ちょっと目に留まるニュースがあった。——早稲田大学の植草教授の公判があったのだ。植草センセといえば、経済の専門家として以前はよくテレビに出たりしていたものの、女子高生のスカートの中を覗いたと逮捕された人だね。当時は割と大きく報道されていたから聞いたことはあると思う。

そこで、彼は自分は無実だという主張だった、という報道だった。ま、これは別にいい。目に留まったのは、その後の部分だ。彼は会見でこんなようなことをいっていた。「男としての欲望というのは誰にでもあって、自分にもそういう欲望はある」「資本主義というのは、それぞれの欲望を追求することが認められる社会だ。だから、自分の欲望を追求するのは悪いことではない」——まぁ、正確には覚えてないけど、そんなようなことをいってたのだ。

自分の痴漢行為には無罪を主張しておいて、よくまぁそんなことをよくいえるもんだ。欲望を追求するのは正当な行為だと? けっ。なにいってやがんだ。だからインテリってのはダメなんだ、ふん。——とまぁ、たいていの人は憤慨したんでないだろうか。だがね。この映像を見て、僕はちょこっとだけ、この人を見直したのだ。

彼のいっていることは正しい。そうじゃないか? 人は誰しも、法に触れたり他人に迷惑をかけない限り、自分の欲望をなんとかして満たそうとして行動するのだ。そして、そういう欲望を持っていることは別に悪いことでも恥ずかしいことでもない。誰しも、人にはいえない欲望を持っていて、それをなんとかして満たそうとして生きているんじゃないか。——女。男。金。肩書き。権力。人気。なんとかして欲しい、手に入れたい、そう思わない人間なんているものか。

そんなことは誰だって内心わかってはいる。だが、あくまで「内心は」だ。そんなことをいえば明らかに自分にとって不利になる、そういう状況の公の場で、そういうことを口にする人はまずいない。内心はそうだと思っていても、表向きは「いえ、欲望の通りに生きているのでは動物と同じです、人間なんですから理性を持って欲求を抑えてよりよい社会を作っていくためになんたらかんたら」とかいうもんじゃないか?

自分が、痴漢行為をしたという裁判の会見で「自分にだって男としての欲求がある、それを満たそうとするのは悪いことではない」などといえるだろうか。別に開き直っているわけでもなく。こういうとき、おそらくは誰しも自分を善人に見せようという発言を頭の中で作り出してしまうんじゃないか。それを、自分の立場とは切り離して客観的に述べることのできる彼は、僕は立派であると思うよ。

僕は決して、彼の行為を正当化しようってんじゃない。ただ、彼はやはり言論人として立派な人であったのだろうな、ということをここでちょこっと書いておきたかったのでした。「女子高生のスカートを手鏡で覗くようなやつが立派か?」と思う人。その一事を持って、彼の人格を全て否定するのが正しいものの見方と本当に思う?

彼が実際にそうしたことをやっていたか否かはわからないけど、それとは別にして、「彼はあのような状況であれ、言論人としてあるべき言論を展開しようと試みた」ということは、立派だ。言葉というものを仕事にする人間は、かくありたいと僕は思うのだ。——もちろん、世の中には「何かちょっとでも悪いことをした人間は全て否定しないと気が済まない」という人もいることはわかっている。そういう人にとって、こういう発言は不快なこともよくわかっている。わかっているから、そういう人のために、こうして一言いっておくのだ。それが僕の「言論人として行なうべきこと」である。そう思うから。

公開日: 火 - 8月 31, 2004 at 06:46 午後        


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