新選組も佳境に


いよいよ新選組も終盤に近づきました。そこで思ったこと。

新選組もいよいよ終盤に差し掛かってきた。で、最近になってふと思ったことがある。——前から、この新選組の脚本が、どうもなんというかおさまりが悪いというか、気になってたんだよね。妙に新撰組を美化した感じが、さ。まぁ、ところどころに三谷さんらしさも入っていたし、ドラマとしてはけっこう面白く見られてたんだけど、「まさかとは思うけど、これ見て、『新撰組ってこんなだったんだ』とか思い込む人間がいたら困るよなぁ」という感じがしてた。

彼らが主役なんだからしょうがないといえばしょうがないけど、それにしてもそんなに美化しなくてもいいのに。三谷さん、何考えてんだろう。——そういう感じがいつもしてたんだけど、前回見ていて、ふと得心がいった感じがしたのだ。彼は、ひょっとしたら新選組で「明治維新は正義である」という認識を破壊しようと企んでたんじゃないだろうか?

歴史というのは、常に勝った側から書かれる。現代の人間が過去を振り返るとき、暗黙裡に「現在を肯定する形で歴史をとらえようとする」ようなところがあると思う。今の世の中は間違ってはいないのだ、そういう見地からどうしても歴史をとらえようとする。それが近代の、今に色濃く影響を残す時代である場合には、特に。——明治維新、それは正しい革命だった。旧態依然とした幕府、封建政治を打破し、新しい時代を築くために必要な戦いだった。そしてそれは正しかったのだ。僕らは無意識にそう信じている。

三谷さんは、新選組を通じて「明治維新は、正義などではない」ということをじわ〜っと視聴者の間に浸透させようと企んでたんじゃないか。——そうだ。明治維新は決して「正義が勝った」革命だったわけじゃない。明治になって国のあり方が素晴らしいものになったかといえばそうではなかった。幕臣の権力が薩長出身者に移り、幕府の権力が政府に移った、それだけだったのではないか。藩閥政治はかつての江戸幕府以上に偏った権力のあり方を生み出した。新政府樹立の最大の功労者だった西郷隆盛、明治の司法を一人で築き上げた江藤新平、そうした本当に志ある人間たちは次々に政府を離れ、乱を起こし死んでいった。それは、本当に「正しい道だった」のだろうか。「避けられない乱」だったのか。

本当は、もっと犠牲もなくより多くの人間が救われる道があったはずではないのか。実はそうした道があることを知っていながら、あえてそれを捨て、自分たちの権力と利益のために一部の人間たちが強引に別の道へと引っ張っていったのではないのか。明治維新は、果たして本当に「正義」だったのか。——前回の新選組で、ようやくその大テーマが姿を現してきた気がしたのだ。そこに至って、ようやく「なるほど」と思ったんだよね。三谷さんがなんだってあえて大河ドラマを引き受けたんだろう。その意味がちょこっとだけわかった気がする。

今までの大河ドラマ、いやNHKの歴史物全部といってもいいけど、それはすべて「現在の認識を追認する」という方向でしか作られなかったんだよね。そういう意味では、彼は案外、革命的なことをやってるのかも知れない。などと思ったりしたのでした。

ま、そういう見方もあるかも、ってことで。案外、三谷さんのことだから、「何も考えてませんでした」ということかも知れんな。はっはっは。

公開日: 月 - 11月 8, 2004 at 10:51 午後        


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