読書の夏


なんだって子供の頃ってのは、このクソ暑いのに読書感想文なんてやらされたんだろうね?

夏といえば、子供にとっては「読書の夏」である。今でもあるのかどうか知らないけど、僕らが子供の頃、夏休みといえば「読書感想文」というやつが必ずあった。普通、読書といえば「秋」だ。新刊を出しても売れないので、新潮文庫でさえ過去の名作選を出してお茶を濁しているような季節なのだ。エアコンもほとんど普及してなかったあの時代に、なんだってクソ暑い中、読書なんかできると思ったんだろう。

当時の僕は、作文や感想文の類いは得意中の得意で、どんなもんでも注文に応じて書けますよ、とかいうガキだった。こんなませたガキに読書感想文なんぞ書かせても無駄だってのに、教師のやつは性懲りもなく課題図書の中から読書感想文を出題したのだった。あまりにバカらしいので、たいていは夏休みの初日ぐらいに課題図書のあらすじとあとがきだけ読んですらすらと原稿用紙10枚ぐらいのガキとしてはかなり長大な読書感想文を書き上げてしまい、残りの日々は江戸川乱歩だの筒井康隆だのといった俗悪小説を読みふけっていたのであった。

中学になって、さすがに読書感想文ってのはなくなったんだけど、代りに「推薦図書」とかいって、それぞれの教科の教師が推薦する本がプリントして配られた。要するに、「読め」ってことだろう。それを見ていると、ラーメンと呼ばれていた英語の教師が手塚治虫の「火の鳥」を推薦していたのに目が止まった。子供心に「やるなこいつ」と思った。それ以来、ラーメンには一目置くようになった(気がする)。

課題図書だの読書感想文だのというのを出題する側の教師ってのは、本を読んでるんだろうか? どうも僕が子供の頃の担任などを思い浮かべると、読書好きだったように思えないのだ。課題図書は仕事だから読んでいたのだろうけど、「休日は朝からのんびり読書」という類いの人間ではなかったように思う。——読書が好きでもない人間に「本を読め」といわれるくらい腹の立つことはない。小学校5〜6年の担任の教師よりは、当時の僕の方が読んだ本の数は多かっただろう。そういえば、本を読まない親に限って、子供にえらっそーな本を読ませたがるという話を聞いた。いわゆる名作ってやつだね。楽器を弾けない親ほど子供にピアノやバイオリンをさせたがるし、学歴のない親ほど子供をいい大学に行かせたがる。そういうところが確かにある。親とか教師とかってやつは、そうやればいい子に育つと信じていたりする。

子供を読書好きにさせる一番簡単な方法。それは、親が日々、読書している姿を子供に見せることだ。親が読書の楽しみを知っていれば、黙っていても子供は本読みになる。リビングや親の寝室に本棚さえないような家で、子供に立派な全集を買い与えたって誰が読むものか。「本を読むのはこんなに楽しい」ってことを知らずに育ってるんだから。

というわけで。子供に課題図書を読ませるぐらいなら、親や教師が夏休みに本を読みましょう。子供に読ませるのは、それからで十分。

公開日: 土 - 7月 24, 2004 at 02:19 午後        


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