いらないんなら、オレにちょーだい!


最近、散歩のたびに気になってしまうものがある。いらないんでしょ、それ。だったら、くれ〜!

今日も親子3人でお散歩。少し離れた公園まで足を伸ばし、それからスーパーでお買い物でした。で、出かけてしばらくしたところで、突然、嫁が叫びだした。「あっ! 忘れた!」——そう、散歩のときに「持っていこうね」といってつい忘れてしまうものがある。それは、スコップ。

散歩といえば、それまでは愛娘を遊ばせるためのものだったのだけど、最近になって他に楽しみができた。それは、「野の草花を見つけ、あわよくば持って帰ってしまう」ということ。我が家の周りは住宅街とはいえ、まだ街ができつつある状態なので、至る所に空き地がある。道路にしても、東京のように端から端まで完璧に舗装されているわけではなく、道路端の地面がむき出しになっていたりするところも多い。そんなわけで、春ともなれば、少しずつ雑草たちが芽を吹き、花を咲かせるようになってくる。

今年は、ここに越してきて初めての春だ。そのせいか、何もかもが珍しい。空き地に生える雑草でさえ、よく見るときれいな花をつけたものが山ほどある。で、あるとき嫁が「雑草なんだから、別に持って帰っても罪にならないよね?」といいだし、よし次にはスコップ持参でいこう、などと話していたのだ。

ただ、全くの空き地ならいいんだけど、ときどき、「どこかの敷地内らしきところ」に、とってもきれいな、だけどどうみても「植えたもの」ではない草花を見つけたりすることがあるんだよね。こういうのって、やっぱり、勝手に掘っていっちゃまずいんだろうか。どうみても、雑草なんだけどな。いいよね? まずいの? 誰か教えて下さい。だって、ほんとに可憐な花が多いんだもん、雑草って。

・・しかし、「雑草」というと、なんだか「そういう種類の草がある」みたいに思ってしまうけれど、よく考えると、雑草の定義ってのは何なんだろう。野に咲く草花で、雑草とそうでないものの区別ってのは、なに? 例えば、つくしとかは「雑草」とは呼ばないよね? 野原が一面にレンゲ畑になっていても、これも「雑草」とはいわないだろう。では、タンポポが咲いていたら? このへんになると微妙だ。きれいに咲いていると雑草とは思わないけれど、花がなくて葉っぱだけだと雑草扱いされそうだ。では、よもぎは? 普通なら雑草だろうけど、「よもぎの葉っぱは使える」ってんで、うちではわざわざよそから持ってきて庭に植えたりしていた(枯れちゃったけど)。ってことは、よもぎは我が家では「雑草ではない」わけだ。

我が家の庭は、「雑草一つない、きれいな庭」にはしたくない。そんな庭は、あまりに不自然だ。植えた草花も、どこからか種が飛んできて生えた草花も、同居して一つの庭を造ってくれる、そういう自然な姿の庭にしたい。だから、生えてきた雑草も、ただ「こっちが植えたものでないんだから全部雑草だ」と引っこ抜いてしまいたくはない。ひょっとしたら、可憐な花をつけるかもしれないじゃないか。そりゃ、不気味な葉っぱや花だったりしたら引っこ抜くだろうけどさ、少なくとも「雑草だから」という理由だけで引っこ抜いてしまいたくはない。——考えてみれば、オレも人間界では立派な「雑草」だ。少なくとも、氏素性のしっかりした、学歴経歴ともに万全な「お花屋さんの花」でないことは確かだもんな。「雑草であるから雑草はダメだ」っていってたら、オレなんざ真っ先に人間界から引っこ抜かれちまう存在に違いない。

今日、帰りがけに通った空き地では、一面に白と紫の小さな花が散らばって咲いていた。我が家の周りは、建設ラッシュだ。今は空き地のところも、いずれは家が建ち並ぶだろう。あの一面の白と紫の花も、いつかは駆逐されるのだろう。そう思ったら、「今のうちに、可憐な雑草たちの姿を楽しんでおかなきゃ」って思うじゃないか。お花屋さんで売ってる花なら、何年先でも多分手に入る。けれど、名もない草花は、身の回りの世界から消えたら、次にまた出会える保証はないのだから。

公開日: 日 - 3月 14, 2004 at 06:44 午後        


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