価値基準の置き所それが自分の中にあるか、他人の中にあるか、考えたことある?
ニュースを見ていたら、ちょっと面白い記事を見つけた。インテリジェンスの業界レポート(これ)
というものなんだけど、ここで日本人の体型についてどういう評価をしているかを調査した結果について書いてあったのだね。要するに、「自分は太っているかやせているか」ということについての調査なんだけど、これによると女性は年々痩せてきており、男性は年々太ってきている、らしい。まぁ、なんとなく納得できる結果ではあるね。
で、だ。なんで女性はどんどんやせてきて、男性はどんどん太ってくるのか。それは、「自分の体型をどう思うか」に対するとらえ方の違いだという。実際の評価(つまり、平均体重とかから換算して実際に太っているのか痩せているのか)と、自分の評価(自分では太っていると思うか、痩せていると思うか)を比べてみると、男性の場合は両者が比較的同じであるのに対し、女性の場合は実際の評価より自分の評価がより「太っている」ほうにずれているというのだ。つまり、実際には痩せているのに「普通」と思っていたり、普通なのに「太っている」と思う人が女性は多いわけ。 なぜそうなるか。その一つの解釈として、男性は自分自身の評価を「過去の自分」と比較するのに対し、女性は「他人」と比較するためではないか、というのだ。つまり、男の場合は、「太ったな」というのは、「昔、オレは70キロだったけど、今は75キロになった」というように、昔の自分と比べて今の状態を判断するらしい。そういわれれば、僕も「若い頃は何キロだったのに」という感じで自分の体重を見ることが多い。ところが女性の場合は、周りの人と比べて「あんなに痩せている人がいるのに、それと比べると自分は太っている」と考える、らしい。(そうなの?) まぁ、その説が果たして正しいのかどうかはわからない。ただ「自分自身を基準に持つのと、他人に基準をおくのとの違い」という考え方はなかなか面白かった。「なるほど、人のことばかり気にして自分自身の中でちゃんとした価値判断がないと、自分を正しく判断できなくなるわけだな」と思ったわけだ。——で、これで話が終わればそれで「めでたしめでたし」なんだけど、実は更に話には先がある。それは、「男性は自分自身を客観的に正しく判断しているが故に、痩せる努力をしない」らしいことがわかってきたからだ。 自分自身に価値判断の基準を持つということは、自分で自分をごまかすことができるようになってしまうわけだね。だから「まぁ太ってるけど、このぐらいなら大丈夫さ」と簡単に自分を納得させてしまう。これに対し、女性は常に「他人」を意識しているから、なかなか「こんなもんで大丈夫」と思えない。そのため、常に痩せる努力をし続けることができる、というわけ。 これを読んで、うーんと考えたのだよね。——こういうことって、世の中では他にもいろんなところで見られる。つまり、「物事の基準を自分の中に置くか、他人の側に置くか」ということだね。殊に最近、巷では「自分自身の中に確固たるものを持っている」ということが無条件に「正しいこと、良いこと」であるように思われている。価値基準というと曖昧だけど、これを「信念」とか言い換えるとよくわかる。反対に、「他人のことばかり気にして自分の中に確固たるものがない」というのは無条件に「悪いこと」と思われている。 が。世の中で「自分の中に確固たる信念を持っている」という人は、実際問題として、多くが「他人の意見に耳を傾けない独りよがりな人間」であったりする。少なくとも、集団で共同して何かをしようという場合、この種の人間はかなり迷惑だったりするのは確かだ。それより、「他人のことばかり気にする」人間の方が、実はとても役に立ったりするのだよね。 もちろん、「自分の考えより人の顔色を見る人間の方が立派だってのか」ということじゃない。つまり、これらは「どちらがよい」という問題ではない、ということなのだ。どちらがよいかではなく、重要なのは「どういう状況でどちらを用いるべきか」ということなのではないか? ——本来、自分だけで決めなければならないところで、他人の考えばかりを気にする。より多くの人の意見に耳を傾けなければならないところで、自分の価値判断ばかりを重視する。要するに「用いる状況を間違えた」のが問題なのだ。 本来、人間はこのどちらの見方も持っているはず。それがふと気づけば、どちらか自分にとって楽な方だけしか見えなくなってしまう。一度「ここに価値基準を置く」と決めたが最後、二度と他の場所に動かそうとはしなくなってしまう。それこそが問題なのだ。——何かの判断をくだすとき、判断が正しいか否かということの他に「その判断の基準は正しい場所に置かれているか」を考えることは難しい。だが、少なくとも「価値基準の置き場所は一つではない」ということを頭のどこかに入れておきたいものだ、と思ったのでした。 公開日: 金 - 1月 21, 2005 at 05:33 午後 |