死刑執行


本日、かの凶悪事件の犯人が死刑執行されました。

池田小学校で生徒を無差別に殺した宅間守が、今日の午前10時半、死刑になった。裁判で死刑の判決が確定してから1年ほどでの執行だった。これを知ったとき、僕の中になんともいいようのないもやもやとした気分が湧いて来た。なんというか、「これで終わりにしようってのか?」という不信感みたいなものといえばいいのか。

普通、死刑の執行というのは、だいたい死刑の判決が確定してから5〜6年ほどたってから行なわれる。長いものになると何十年と執行されずにいることもある。帝銀事件の平沢貞通氏などは死刑が確定してから実に32年間も執行されず、結局は獄死することになった。死刑の執行というのはそれぐらい重いものであり、慎重の上に慎重を期して行なうものだったはずだ。それが、判決が出て1年で執行というのは、あまりに早すぎる。こんな早い執行例を僕は寡聞にして知らない。

なぜ、こんなにも死刑執行を急いだのか。——世間では、「死刑制度存続うんぬん」といったことがいわれているらしい。死刑廃止論などがかまびすしい昨今、こういう「誰が見ても死刑にして当然」と思える人間を死刑にすることで、「死刑制度は必要だ」ということを再認識させる狙いがある、というようなことなのだ。——だが、僕は全く別のことを考えてしまう。それは、「法務省は、宅間守という犯罪者がいたことを一刻も早く忘れたがっているのではないか」ということだ。

宅間守という人間は、「自分には法律など全く何の役にも立たない」ということを証明してしまった犯罪者だった。現在のどのような法律をもってしても彼を救えなかった。「彼に殺された人の命を」ではない。犯罪を犯した「宅間守」という人間を救うことはできなかった、ということなのだ。彼は一貫して自分を死刑にすることを要求し、死刑判決後は弁護団が出した控訴を自ら取り下げ、「半年以内に刑を執行しろ」と要求した。そして法律は、結局、彼のいうなりに彼を死刑にするしかなかった。法律は、日本の法制度は、この宅間守という犯罪者に対して全くの無力だった。だからこそ、法曹界は一刻も早く「自分たちがクソの役にも立たなかった凶悪犯」が存在していたことを忘れたがっているのではないか。

宅間守という犯罪者を許さず、彼のいうなりにならない道は、実はあったはずだ。十年、二十年という年月をかけて、彼に罪の償いということを理解させるという道だ。もし、いつの日にかそういう日が来たとしたら、そのときこそ本当にこの事件が終わるときだったはずではないだろうか。だが国はその道を選ばなかった。手っ取り早く、本人の要求を受け入れて彼を殺し、そして「これでおしまい」と幕引きをした。

もし、長い年月をかけてでも宅間守という人間を理解し、その犯した罪を理解することができたなら、それは「第二の宅間守」が現れたとき、必ず何らかの役に立つはずだった。——宅間守は、「普通は絶対にありえない、突然変異のような人間」なのだろうか。僕にはそうは思えないのだ。宅間守という人間は、生まれながらに「人間じゃない生き物」として誕生したわけじゃない。宅間守という人間は、生まれてから事件を起こすまでの間、何十年という年月をかけて作られて来たのだ。であるならば、彼という人間がなぜ生み出されたのかを解明しない限り、常に「第2、第3の宅間守」が現れる可能性はある。いや、あの事件以後だって、「ミニ宅間守」はあちこちに誕生しているんじゃないか?

殺すというのは「理解することをやめる」ことだ。相手を理解しようという気持ちがある以上、相手を殺すことなどない。人が人を殺すのもそうだし、戦争で敵を殺すのだってそうだ。相手を理解しようと思ってしまったら、人を殺すことなどなかなかにできないはずではないか。——国は、宅間守という人間を理解することを最初っからすっぱりと諦めてしまった。そして彼を殺してしまった。宅間守が子供たちに対してそうしたのと同じように。

どのようなことであれ、人は「相手を理解し、考える」ことを諦めてはならない。それは、物事を考える際の、僕の基本原理のようなものになっている。死刑制度に反対するのも、おそらくそこから来ているのだろうと思う。——もはや、宅間守という人間を理解しようとする道は断たれてしまった。そのことが僕には残念でならない。

改めて、ここで「自分は死刑制度に反対である」ということを記しておこう。宅間守のような人間であっても、いや、宅間守のような人間こそ、死刑にしてはならない。重大な犯罪であればこそ、理解することを放棄してはならないと思うから。

公開日: 火 - 9月 14, 2004 at 05:14 午後        


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