自分には何ができるか?
・・それを理解していない人間というのは困ったもんだよ。
日本の自衛隊が、イラクの多国籍軍に参加すると純ちゃんが勝手にブッシュちゃんに約束しちゃったというので、もめてますね。「いや、参加しても自衛隊の指揮権は日本政府にあるから心配はいらない」と強調している。——が、それはつまり「多国籍軍に参加するが、多国籍軍の指揮官の命令は無視します」といっているわけでないのか? もし、内戦状態になり、多国籍軍が防衛に回るようなはめになったとき、「じゃ、みんな頑張って。俺たち帰るから」と戦場を後にして帰ってくるのか? いや、戦えといってるんじゃないよ。つまりね、「なぜ、できもしない約束をしてしまうの?」ということをいいたかったんだ。
先日、純ちゃんが北朝鮮の金ちゃんのところへいったときもそうだ。曽我さんの旦那さんを説得するのに「逮捕は絶対されない。私が保証する」といってた。けれど、先日ブッシュちゃんとお話しした時に、ブッシュちゃんは「日本につれてきたら逮捕するよ、それは絶対に曲げられないよ。北朝鮮で暮らすわけにはいかないの?」といっていた。そもそもこの人、なんで「米国の軍律を曲げてまで、旦那さんの逮捕をやめてもらいたい」というのかがわかってないんだろう。まあ、選挙目前のブッシュちゃんは、男妾である日本のことなんざかまってる暇はないんだろう。ブッシュちゃんは脇において、だ。なんだって、できもしないのに「私が保証する」なんてことをいえるんだろうこの人は。
別に、政治の問題というか、政府批判をするつもりじゃないよ。そもそも、これは政治とか国とかそういう次元の問題じゃない。社会人としてのもっとも基本的なルールというかマナーの話だ。「できもしないことを、さもできるかのように空約束をしちゃいけないよ」というだけのことだ。なんで、そんな簡単なことができないのだろうこの人は。
最近、こういう「できもしないことをできるといってしまう人」というのが増えているような気がする。自分にそれができる能力があるかということを深く考えもせずに「できるよ」と約束してしまう人。結局、後で困るのは自分なのに。
こういう人は、おそらく、自分の力を客観的に見ることができないタイプの人なのだろう。よくいるんだよね、自分のことを過大評価したがる人って。世の中には、「自分は人より優れている、人より偉い、人より強い」としか自分を見られない人がいる。すぐれていなければ意味がない、そう錯覚しているのだろうか。
僕は、常々自分にこう言い聞かせている。「自分の代りは、いつでもどこにでもいる。それを認めていないのは自分だけだ」と。そう、僕でなければならない、僕の代りはきかない、そういうことはこの社会にはない。どんなことだって、必ず僕の代りとなる人間はいる。が、だからといって僕の存在に意味がないわけではない。自分が「他に代りのきかない、すっげー人間か否か」ということと、自分がこの世に存在している意味とは全く何の関係もない。自分が優れていようが劣っていようが、自分が生きている意味はあるし、この世に存在する意味は見いだせる。それは、優劣とは別の次元の話なのだ。
自分の力、自分の能力、自分の権力、そういったものを誇ることでしか自分の存在を示せない人間。それは、「何もなくても自分に自信と誇りを持てる人間」になれなかった人間の末路なのかも知れない。かわいそうだな、純ちゃん。
公開日: 木 - 6月 17, 2004 at 07:27 午後