尊敬する偉人


・・の基準というのはなんだろう。

しばし宮城谷さんの「重耳」を読んでいた。たまに読み返すと、また面白いんだよねこの人の小説は。特にこれは、介子推という人間が登場するので、特に楽しめたのであった。——介子推は、歴史上の偉人などの中で、僕にとって尊敬できる数少ない人間だ。彼は、「晋」という国の公子(要するに王様の子供)である重耳に仕えていた人間だ。重耳は王位継承のごたごたから国を負われ、19年もの間、流浪の生活をした。そして70歳を過ぎて国へ戻り王様となり、名君として名を残すことになる。

普通、歴史上の偉人といえば、この重耳のように、王様とか殿様とかそういう偉い人であるはずだ。だが、介子推は重耳に仕える一介の使用人に過ぎなかった。彼は神技ともいえる棒術を会得しており、国元からの刺客から重耳を守り、流浪の旅の最中には一人食物を求めて歩いた。そうして重耳が王様になった暁には、立身出世し、偉くなりました・・となればごく普通の立身出世話なんだけど、介子推はそうはならなかった。

彼が一人で重耳の命を守り続けたこと、そのことは誰一人知るものはいなかった。そして重耳が帰国後、付き従っていた人々が恩賞にあずかっていくのを見て、彼は「重耳が成功したのは天がそうさせたからである。それなのに彼らは天の所行を自分の手柄にしている」と怒り、母親と姿を消してしまう。——介子推がどれだけ重耳のために働いたかを唯一知っていたのは、重耳をつけ狙い続けた暗殺者だけだった。彼の口から、「介子推がいたから自分は重耳を殺せなかった」ということを知った重耳は、慌てて介子推を探し出す。だが既に彼は山の奥へと姿を消しており、誰一人見つけることはできなかった。介子推の名はその後、人々に知れ渡り、今もなお中国の多くの人々に愛されているのだそうだ。

僕が介子推を好きな最大の理由、それは彼が誰も殺さず、何も求めず、そして誰にも従属しなかったところにある。——よく、「尊敬する歴史上の偉人」なんてのに出てくる人間というのは、その大半が人殺しであり、立身出世に成功した人間であったり、あるいは殿様や上司のために働いた忠臣であったりするのだよね。が、介子推はそうではない。彼は重耳を棒術で守り通したが、決して誰かを殺して回ったわけではない。そして地位も金も手にはしない。更に、彼は「忠臣」の代表のようにいわれることがあるのだけど、しかし彼は生涯を重耳のために尽くそうなどとはしなかったのだよね。仕えているときは献身的に尽くすが、しかしその時が終われば彼は姿を消すのだ。彼が仕えたのは「天」であり、重耳ではなかったのかも知れない。

中国の歴史では、こうした人間がときどき出てくる。道教の影響なのかも知れないけど、戦争もせず、金持ちにもならず出世もせず、だけど歴史に名前を残しているという人間がけっこういるのだ。日本では、あんまりそういうのがないのだよね。日本の歴史上の偉人というのは、結局は「人を殺して出世した人間」ばかりだったりする。もちろん、坂本龍馬みたいに、戦争を否定し、誰を殺すことなく世の中を変えようとした人間というのもいたことはいたけれど、やっぱりほとんどの人は「尊敬する歴史上の人物は?」と尋ねられれば、「織田信長」だの「徳川家康」だのいった名前を答えるのだ。

別に、大昔に死んだ人間なんだから、誰を尊敬しようが勝手でしょ、というのは正しい。だけどね、たいていの人間ってのは、誰かを尊敬するということは、すなわち「そういう人間になりたい」と思っている、ということなのだよ。僕は、信長や家康になりたいと思う人間ばかりの世の中なんて、まっぴらなのだ。

公開日: 日 - 1月 30, 2005 at 06:43 午後        


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