ドリフの終わり


いかりや長介さんが亡くなった。ご冥福をお祈りします。これでドリフも終わりか、と思うと・・。

僕らの年代の前後(30〜40代ぐらい?)というのは、ドリフの時代であったように思う。誰しも子供の頃に「全員集合」を見て育ったものだ。いかりや長介さんが亡くなったということで、僕らの年代の人間は特に感ずるところが大きいように思う。一つの時代が終わった、なんていうと大げさかな(大げさです)。

僕の周りでは、みんな「あー、ドリフはよかったよねえ。もう見られないんだねえ」としみじみ思う人間がずいぶんと多い気がした。そうなのだろう、子供の頃にテレビにかじりついてみたものっていうのは、やっぱり特別な思いがあるものだよね。だから、その気持ちはよくわかる。——ただ、残念ながら僕はそういう気持ちにならないんだ。

僕は、ドリフが嫌いだった。いや、ある年齢まではけっこう見ていたけれど、次第に興味が失せてしまい、小学校の5〜6年ぐらいにはもうあまり見なくなっていたように思う。ドリフは、面白くなかった。ドリフの笑いは、あまりにベタベタで、子供心にも「センスがない」と感じた。全員集合の体を使ったすさまじいコントは確かにすごかったと思う。あんなのは、もう今の時代には絶対にできないだろう。それはよくわかる。だけど、「あの番組はすごかった」からといって、「だから面白かった」というわけではないんだ。すごいコントをやっていたけれど、そのすごさの方向を間違えていた感じがする。僕にとっては、時に不快ですらあった。

暴力的というなら、コント55号の初期の頃の方がはるかに圧倒的に暴力的だった。また笑いのセンスでいうなら、クレージーキャッツのほうが圧倒的に洗練されていておしゃれだった。ドリフは、半端だった。唯一図抜けていた「体を張った暴力的な笑い」も、荒井注さんが抜けて失われてしまった。それ以降のドリフは、本当にベタな低次元の笑いしか生み出せなかったように思う。ドリフのファンの皆さん、ごめんなさい。でも、そう思うんだから仕方がない。

日本は、やる側も見る側も、笑いのレベルが低い。ドリフと笑点は、僕にとってその象徴だった。もちろん、ベタな笑いもあっていい、でももっとしゃれた大人の笑いも欲しかった。

本当は、日本にもしゃれた笑いはあったんだ。落語とかね。「あたまやま」だの「蕎麦清」だのといった噺は、ほとんどSFか前衛小説のような味わいだ。蕎麦清なんぞは、聞いても半分ぐらいの人はサゲの意味がわからないに違いない。そういう「頭が柔らかくないと笑えない高度な笑い」というのを昔から日本人は持っていたはずなんだ。けれどグレシャムの法則により、良貨は悪貨によって駆逐されてしまった。ドリフによりクレージーキャッツは席を追われ、円楽一門により立川流は脇に押しやられてしまった。そのことを僕は何より悔しく思う。

いかりや長介さんは、よくも悪くも「ドリフターズ」という一つの時代を築いた人だ。特に、後年の役者としてのいかりやさんは素晴らしかったと思う。ただ、コメディアンとしては、二流だった。それが僕の詐りない評価です。改めて、ご冥福を祈ります。

公開日: 日 - 3月 21, 2004 at 05:48 午後        


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