まだやってるの、忠臣蔵?


・・あんなもん、まだ性懲りもなくドラマ化してるんかね。なんとまぁ平和な。

夕刊に出ていて「ふーん」と思ったんだけど、今、「忠臣蔵」をやってるらしいね。「新選組」しか見てないんで全然知らなかったんだけど、昨日、嫁と「マツケンサンバ」を検索していたら(笑)引っかかってきた。まだ始まったばかりならまだしも、もうすぐ討ち入りらしいので今更見てもしょうがないだろうなあ。

それにしても、だ。未だに「忠臣蔵」というのが時代劇の中心となってるところが面白いなあと思うのでした。マツケンさん(松平健)のコメントで、忠義だの何だのといった、今では滅多にお目にかかれない単語がわんさか登場したのが奇妙だった。普段の生活というか暮らしの中で、コメントを求められて「忠義一徹」だのといった言葉をばしばし使って答えていたら「この人、変な人?」などと思われること間違いないが、忠臣蔵の話になるとそういうのが当たり前のように使われて誰もが違和感なく「そうよねえ」と頷く。妙な話だ。

正直いって、そういうごく当たり前の忠臣蔵に、あんまり興味はない。ステレオタイプなつまらない忠臣の話など聞いても、何も得るものなどないからだ。前に、読んで「おぉ」と思ったのは、池宮さんの「四十七人の刺客」ってやつ。忠臣蔵の赤穂浪士を「あれは、刺客(殺し屋)である」という視点から切った物語はかなり斬新だった。相手を殺し、面目を潰す。そのために謀略の限りを尽くし、徹底的に殺し合う。そうだ、「忠臣」蔵などと立派な名前をつけられてはいるが、あれは一種の戦争であり殺し合いなのだ。大義も蜂の頭もあるものか。戦いというのはそういうものだ。そういう視点。

戦わずにすませる道もある。が、そのためには武士としての誇りや、名誉や、人間としての尊厳などさまざまなものを犠牲にしなければならない。戦わないために、人は何を何処まで犠牲にできるのか。また、そこまで大切なものを失ってまで「戦わないだけの平和」を得ることが果たして正しいのか。——池宮忠臣蔵には、そういう「なぜ戦うのか。なぜ殺すのか」という大テーマがある。ただの「忠臣」話じゃ、そういう広がりがないんだよね。その重要な部分を「殿への忠義のため」なんて単純なものに置き換えてすべて説明してしまったら、戦い本来の姿を見失ってしまうじゃないか。

そういえばちょうど先日、南條範夫さんが亡くなったので暇を見て作品を読み返そうと「大名廃絶録」を読み返してたところだった。これを見ると、江戸時代に除封(要するにとりつぶしとか削減)になった大名というのはなんと87家もあるという。が、幕府の裁可に反抗した例は一つもない。忠臣蔵は、微弱ではあるけれど一握りの人間が幕府を相手に戦った、というところに、なんというかロマンを求めるのだろうね。亡き殿に忠義を尽くした、立派だ、とね。はっはっは。思わず笑っちまうのは僕だけか?

立派なものか、んなもんが。——彼らは「殿」に養われていたわけじゃあるまい。忠義を尽くす相手は他にあるはずじゃないか。誰に? 藩の行政府に? 違うだろう。彼らを養っていたのは、そこに暮らす領民だろうが。農民たちがおさめる米、商家がおさめる税金、そうしたものによって武士は養われているんじゃないのか。それが、藩主が切腹となりおとりつぶしとなると、それまで年貢を納め自分たちを養ってくれた領民たちのことはすっぱり忘れて方々へと落ち延びていく。なんとまあ官僚的な。そして、「殿のため」とかいって人殺しをする。それが「立派」なのかね?

中にはそうでない人間もいた。堺屋太一氏の「峠の群像」では、苦労して切り開きようやく軌道に乗ってきた塩田を見捨てるわけにはいかないと、赤穂に残り塩作りを続けようとする一部の武士たちが登場する。民の暮らしを考えるならば、そっちのほうが「自分たちを養ってくれた領民たちへの忠義」でないのか。「殿様」という、上を見上げての考え方をしている限り、そうした視点には気づかない。支配者を「おかみ」と呼び、ひたすら上だけを見、上に尽くすことを「忠義」という視点からは、彼らを下から支えてきた庶民の姿は見えない。——忠臣蔵の浪士たちに、「赤穂の民のため」という視点は果たしてあったろうか。そのまま今に置き換えれば、彼らは「大臣のことばかり考え、国民のことなど眼中にない政府の役人」みたいなものだったりしないか? そういや役人ってのは、みんな「自分が国民の税金で養われている」ことを全く忘れてる。そういうところも、武士と役人はそっくりだな。

浅野内匠頭ってのは吝嗇で治世も非常に塩辛く、切腹して死んだという情報が届いたときには、赤穂の町中で万歳の声が響いたとかいう言い伝えもあったりする。反対に、吉良上野介は実に領民にやさしい治世をしていて、亡くなった後も長くその名は語り継がれたという。どちらが人々にとっていい殿様だったかはいうまでもない。そういうことを考えると、赤穂浪士を能天気に忠臣扱いするだけのお話など、「なんとまぁ牧歌的な」と思ってしまうのだ。まるでメルヘンの世界。もっと現実を見据えてくれよ。殿様と、忠義な武士と、それだけしか存在しないのかこの世界には。

たまにはもっと斬新な、目の覚めるような視点を見せてくれよ。そうしたら僕だって見るのにな。見る前からストーリーがわかってるような忠臣蔵は、もういらないよ。

公開日: 火 - 11月 16, 2004 at 06:16 午後        


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