なぜ掲示板がないのか?
・・ということを時々いわれる。別にコミュニケーションを拒否してるわけじゃないです。
どうも最近、メールなどで「読んでますよ〜」といわれることが増えてきた。それに伴い増えてきたのが、「なんで掲示板を置かないんですか?」という意見。——まず、最初にいっておきたいのだけど、僕のホームページに掲示板を置く予定は全くありません。といっても、コミュニケーションを拒否しているわけではない。掲示板を置かなくとも、メールだけで十分、という頭があるからだ。「メールだとちょっと・・。掲示板なら、匿名で書き込めるし気分的にも楽なんですよね〜」という人もいるだろう。だが、僕はここでこう断言しておく。人が苦労して生み出したものを批評するのに、楽をしようなどと思うな、と。
何かを表現するということは、すなわちそれに対する批評を受け入れる覚悟をする、ということである。少なくとも、自分で何かを作り、それを公開する以上、それに対する批評が必ず返されるということを考えておかなければいけない。ときどき、個人のホームページなどで「私の作品に対する批評や批判などはしないでください」と書いてあったりするところがあるけど、あれは間違いだ。作品を発表する以上、それに対して何かが返ってくるのは当たり前だし、返されるものについて、自分に都合のいいものだけを受け入れることなどできないのだ。もしそれを「イヤだ」というなら、そもそも作品など発表しなければいい。作品は発表したい、だがそれに対する評価は受けたくないという考えは通用しない。
が。ここでしっかりと理解しておいてもらいたいのは、「作品に対する批評もまた、一つの作品である」という点だ。ある作品に対して批評をするというのも、それ自体が一つの表現行動である。であるからこそ、それなりの覚悟を持ってして欲しいのだ。それができないなら、そもそも批評などするべきではない。
掲示板を設置しない最大の理由はここにある。掲示板というのは、自己の責任を問われない状態で意見を公開できる。そこによさがあるのだし、また欠点もある。——例えば、僕が参加しているユーザ会では、掲示板を設置してあれこれ好き放題に書き込んでいる。これは、掲示板がコミュニケーションの道具として機能しているからだ。だが僕のホームページでは別にそうしたアクティブな活動をしているわけではない。行なっているのは、要するに作品の発表だけである。フリーウェア、著作のサポート、各種の無料入門テキスト、そしてコラムやエッセー。すべて「僕の作品をここで公開しています」というものばかりだ。このホームページに掲示板を設置するということは、すなわちここで公開している作品に対する掲示板という役割を担うことになる。
僕の作品に対する批評批判は大歓迎である。ただし、当たり前のことだけれど、それはそれなりの覚悟を持って行なって欲しい。なぜ? そんなことは説明するまでもない。僕自身が、それなりの覚悟を持って作品を発表しているからだ。相手がそれなりの考えを持って取り組んでいる以上、それ相応の態度でそれに対するのが人としての礼儀であると思う。そうした基本的な礼儀に欠ける人間を相手にしたくはない。だから、掲示板は設置しない。匿名でなければ意見をいえないような、そんな覚悟のない人間の批評などこの世に必要ない。自分が何者であるかを明らかにした上で「私はこう思う」と述べることのできない人間の意見など聞くに値しない。
僕のところには、ホームページに関する意見や批評、質問などが頻繁に届く。多くの人が、そうしてさまざまな声を僕のところに届けてくれる。僕には、それで十分だ。従って、掲示板を設置する必要性は今のところ感じません。あしからず。
※また、上記の理由から、フリーメールで御意見を送っていただいた場合、読まずにゴミ箱行きとなることが多分にありますのでご注意を。
公開日: 土
- 6月 19, 2004 at 06:07 午後