タバコ依存
喫煙者の割合が3割を切ったそうだ。でも、多くはタバコから他のものへの依存に切り替わっただけだったりして。
日本たばこ産業の調査で、今年の6月の時点で成人で煙草を吸う人の割合が初めて3割を切ったんだそうだ。なるほどねえ。そういわれてみれば、僕の知り合いでも煙草を吸う人はずいぶんと減った気がする。先日、千葉に出たときも、千葉市街の路上に「禁煙地帯」の表示などが追加されていたりして、吸える場所もずいぶんと減ってきたのが実感できる。
一方で、今朝の朝日新聞などでは、なかなか禁煙できない人の禁煙指導などのレポートが載ったりしていた。肉体的な中毒(ニコチン中毒)よりも、精神的なタバコ依存の方がはるかにやっかいらしい。僕は、タバコをやめるのに苦労をした経験というのが全くないのでどうもよくわからないんだけど(昔は缶ピーと徳用マッチを持ち歩いてた)、普通の人が煙草をやめるのは相当に大変のようだ。なるほどね。しかし、そうまでしてやめないといけないもんなのかねえタバコってのは。いつからそんな悪者になってしまったんだろう。
巷ではタバコ禁止条例などがあちこちで制定され、公共施設や電車・飛行機などいろんなところでタバコは追放されつつある。「タバコは諸悪の根源である!」といわんばかりに悪者扱いされている感じがする。——だが、今、これだけタバコ包囲網ともいうべきものができあがってきているのは、「喫煙に害があるから」ではない。そこんとこを勘違いしてないだろうか。タバコの投げ捨てや歩きタバコなどの問題や喫煙者のマナーの悪さなどが社会的にクローズアップされているからであって「タバコに害があるから」ではないのだ。
「じゃあ、お前はタバコを認めるのか。どこでもみんなぷか〜とやっていいってのか」と思う人もいるだろう。だが、ちょっと待って欲しい。——もちろん、公共の場所でタバコを吸うのは、確かに悪い。僕もやめてほしいと思う。けれど、自分一人のところで自分だけタバコを吸うというのは、それとは別の話だろう、ということなのだ。「健康に悪いからやめましょう」ということと、「社会的に問題があるからなくしていく」ということは本来別の話ではないか。どうもそこのところを巧妙にすり替えがなされているような気がしてならない。
嫁は、タバコを吸う。ときどき(本人がいうには「たま〜に」)、換気扇の下でぷか〜とやってる。ただ、あまり僕はそれを咎める気にはならない。娘への影響などがあることがわかれば別だけど、無理矢理禁煙させるほうがかえって害があるような気がするからだ。タバコは、本人の健康に害がある。それははっきりしている。が、少なくとも「本人への害を理由に他人がそれを禁ずる」のはどこか間違っているように思える。——もちろん、嫁には健康でいて欲しい。娘のことを考えると、控えた方がいいに越したことはない。だが、嫁に健康でいることを僕が命令する権利はない。
人間は、何かに依存しなければ生きていけないものだ。タバコ、酒、女、金、出世、名誉、親、子供、恋人、夢。人は、必ず何かに依存している。僕も、嫁と娘と本に依存して生きている。この3つがないと、生きていけないだろう。タバコを目の敵にしている人も、「では自分は何に依存しているのか。そのために周りにどれだけ害を与えているか」を考えてみてはいかが? 案外、「タバコの方がまだマシだった」という人も多いかもよ。
公開日: 火 - 10月 19, 2004 at 07:10 午後