そこだけは間違わないで!という間違い


・・をしてしまう人っている。例えば、年金の審議をしてる政治家のせんせーがたとか。

芥川賞と直木賞という、文学賞で一番でっかいやつがある。だいぶ前に引退した人だけど、毎年その受賞者の取材を担当している割と有名な新聞記者がいた。彼は候補となった作品は全て読破してから取材に赴いた。彼だけが特別というわけではない。昔は、それが常識だったのだ。——それから幾星霜。今、芥川賞受賞の取材をする記者の中で、候補の全作品に目を通している人は果たしているのだろうか。作品すら読んだことのない人間が、一体何を取材しようと言うのだろう。そして、作品を読んだことさえない人間に取材される受賞者の気持ちというのはいかばかりだろう。

ときどき、そういう奇妙な人に遭遇することがある。——前に、パソコン関係のコラムだったけど、文中でアラン・シリトーの「長距離走者の孤独」を意識して書いているらしい文章に出くわしたことがあった。僕が困惑したのは、そのライターは、明らかにその小説を読んでないことがわかってしまったからだ。引用の仕方が、変だ。明らかに、この小説の内容を勘違いして書いているのが読んでわかってしまったのだ。

そんな大げさなことでなくて、もっと身近な例はいくらでもある。例えば、嫁とインターネットのサイトを眺めているときによく遭遇するのだけど、自分のホームページのタイトルの英単語が、なぜか間違っている。自分のメールアドレスが、なぜか間違ってる。オンラインショップで、購入画面のリンクが切れてて買い物できない。そういう例。もちろん、僕だってホームページの文章やブログで書き間違えたり誤字脱字なんかはいっぱいあるよ。でもさ、自分のホームページのタイトルを間違えるか? オンラインショップやってて、買い物できないことに気づかないのか? 「あんた、そこだけは間違えちゃダメだろ?」というところで間違える人間って、実はけっこういるんだよね。

単なる錯覚、単なる勘違い、そういうのはわかる。別に目くじらを立てるほどでもない。ただ、僕がわからないのは、明らかに「この点についてだけは、あなたは絶対に間違えちゃまずいよね?」という部分について、全く無知な過ちをしてしまう人間が多いことだ。

・・ということで、だ。なぜ、国会議員というのは、自分が審議している法律の実際の運用について知ろうとしないのだろう。年金法案の法律の内容については皆さん、それなりに勉強しているのかも知れないが、それが実際にどう運用されているかとなると、自分が払っていることさえわからないなんて。——いや、「実は年金なんてよく知らなくて・・」というならまだわかる。けれど、「私は年金のスペシャリストです」と威張っていた人間が、なぜ「知りませんでした」なんていえるの? 江角マキコさんが国民年金のCMに出ていながら年金未納だったのを鬼の首でもとったように糾弾したりした段階で、「あれ? 待てよ、オレは大丈夫だよな?」とか思わなかったんだろうか。えらそーに追求する前に、ちょっと自分のことを振り返ってみるという考えは全く思い浮かばなかったんだろうか。

僕らが犯す間違いの大半は、あはは・・と笑って赤っ恥をかけば済むようなものだ。だけど、いつの場合もそれで済むわけじゃない。特に、間違いということを通じて、「こいつって、こういう奴だったのか」という本性が見えてしまったような場合には。

——要するに、法律を作っているせんせーたちは、作った法律がどう使われるかなんて知ったこっちゃないのだ。そのことがよくわかったことが、今回、何よりの収穫だった。そう思う。少なくとも、社会の実態について、政治家を信じちゃいけない。そうみんな気づくことができた。それだけでも幸せさ。・・ふっ、我ながら大人になったもんだよ。

公開日: 木 - 5月 13, 2004 at 11:20 午前        


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