洗い物をする男と女の違い


目に見える状況が本当の姿とは限らない。

家でたまに家事をする。僕の現在のところの担当(?)は洗い物で、食事の後片付けはなるべく僕がやるようにしている(のだけど、しょっちゅう忘れて嫁がやってたりするのが実情だったりする)。で、だ。僕が洗っているところを見て、嫁がよく呆れたように感心するのが「節水」についてだ。

僕は、洗い物をしているときに水を流しっぱなしというのが大キライだ。キッチンはレバー式の蛇口なので、簡単に止めたりだしたりできるので、洗ってはちょっと水を出してすすぎ、また止めては洗い・・というようにこまめにとめる。嫁はそういうのが苦手なようなのであった。——嫁に限らず、こういってはなんだが世の女性の結構な割合の人は、そういうところに無頓着なようだ。これはあくまで僕の今までの知り合いなどを見ての感想なのだけど、男の場合はけっこうマメに水をとめたりする人間が多いが、女性は(そういう人もいるけど)洗い物も、歯磨きも、顔を洗うのも、だああああああっっと出しっぱなしにしている人間が多かった。

やっぱりこういう点では男の方が神経が細かいのだよな・・などと考えていた、以前は。だが最近になって(おそらくは結婚して)、この考えがかなり間違っている——というよりは、正しい状況認識ができてなかった——ということに気づいた。要するに、「洗い物をする女性」と「洗い物をする男性」というその時点で、既に立場が全く違っていることに気づかなかったのだ。

「洗い物をする男性」というのは、その時点で、「自分で料理を作る(自炊している)独身者」か「家事をする夫」のいずれかであるのだよね。まぁ、それ以外のケースもあるだろうけど、少なくとも「そういうのがそれほど苦にならないタイプの人間」であるはずだ。なぜって、そういうのがイヤな人間は、「男」の場合に限っては、たいていの場合、やらなくても済むからだ。だから「洗い物をする男性」というのは、基本的に「そういうことをマメにやるのが苦にならない人間」なのだ。

だが女性は違う。女性の場合、もし結婚しているとすれば、その人の性格や立場などとは無関係に、ほぼ強制的に「洗い物をする女性」にさせられるのが大半なのだ。しないで済むのは、お手伝いさんがいるとかお母さんが元気で全部やってくれるとか、夫が掌田津耶乃みたいに妻に献身的に尽くすタイプ(大嘘)であるとか、そういう特別なケースに限られる。結婚したら、妻が働いていようがいまいが(更にいえば夫が働いていようがいまいが)まず間違いなく妻が洗い物をしなければいけない。そういうのがキライだろうが何だろうが、やらざるを得ないのだ。

この両者を比較すれば、そりゃあ女性の方に「面倒くさい、やりたくない、手間をかけたくない」と思う人が多くなるのは当たり前だろう。男は「面倒くさい、やりたくない」と思ったらやらなければいい。独身ならば全部外食で済ませればいいし、既婚であれば全部妻に押し付ければいい。——だが女性は「面倒くさい」と思ってもやらないといけない。既婚ならば「いうまでもなく当たり前」とされてしまうし、独身であっても男性より賃金も低く「女だから」という理由で化粧だの洋服だの身の回りのものに金をかけないといけない状況では「全部外食で済ませればいい」なんて悠長なことばかりもいっていられないだろう。僕は「洗い物をする男性の集団」と「すべての女性の集団」を比べて「やっぱり男の方がちゃんとしている」と思っていたわけだ。

ものごとというのは、そんなふうに「表面上見えるもの」と「実際の姿」とは異なっていることがある。というより、「異なっているのが普通」だったりする。だが多くの場合、人々は「今見えているこの状況は、現実の本当の姿とは違うのだ」ということなど考えず、自分の目に見えた姿をそのまま「本当の姿」と思い込んで物事を考えたり判断してしまう。

自分が見ている姿は、本来の姿であるのか。何らかの原因により本来とは違う形にゆがめられた姿ではないのか。そういうことを時々意識して考える必要があるな、と感じたのでした。——よく「うちの妻は家事もろくにしない」などと口にする男性がいるけど、「家事を全くしない夫」に比べれば百億倍はマシだ、ってことに気づくように。

公開日: 土 - 3月 5, 2005 at 03:05 午後        


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