気持ち悪い言葉の誤用
「小泉総理では役不足」って、彼はそんなに偉いのか?と誤解しかねない表現はやめてくれ。
「トリビアの泉」ネタであります。今回、なかなかにはずしたネタが出てましたね。「役不足は、褒め言葉」というやつ。——品評会の一同、「そうですね。で?」という感じで、唯一、MEGUMIさんだけが「へ〜」してました。いや〜、いくらなんでもふつー知ってるだろ? と思っていたのだけど、説明VTRの中で、明らかに新聞の紙面らしきもので「小泉総理では役不足」とか出ているのがちらっと映って、絶句したのでありました。新聞がこんなこと間違えるのかよ?
嫁が「私たちの時代だと、新聞に出たことは絶対に正しい!って思ってたのに、そんなもんなの?」とちょっと憤っておりました。ほんとにねえ。——まぁ、言葉というのはいつの時代も少しずつ変化していくわけで、単語だけでなくことわざにしろ格言にしろ、ふと気づけば元の意味とは違うものとして使われるようになっていた、なんてことはけっこうある。だから、変わるのがいけないとは思わない。ただ、思わないが「でもオレは絶対にそんなのイヤだ、使いたくない」ということはやっぱりある。これはもう、「これはこういう意味なんだ」と体に染み付いて育って来てしまっているので、それ以外の用法が生理的につけつけない、ということね。そういうのってあるものだ。
僕が一番気持ち悪いのは、前にも書いたけど「一生懸命」というやつ。これがもう、無性に気持ち悪い。既にふつーに使われているから、他人が使うのに文句をいう気はないんだけど、自分では絶対に使いたくない。「一所懸命」を貫くつもりだ。
最近、ちょっと気持ち悪くなってきたのが、「食指を動かす」というやつ。食指は「動く」ものであって、「動かす」ものではありません。が、「最近出た○○に、ちょっと食指を動かした」なんてふつーに使われるようになってる。これが、どうも気持ち悪くなってきた。あまりにこういう使われ方が普通になって来たせいだろうか。
たぶん、僕だってもっと年配の人から見れば「まぁ、あんな間違った言葉を平気で使ってるわ」てなことをやってるんだろうと思う。また、気持ち悪いからといって、そうした誤用を強制的にやめさせて正しい日本語を使わせよう!という人がいるけど、そういうのはもっと気持ち悪い。新しい言葉は定着する段階でうまく取捨選択されているはずで、それで生き残ったものはそれなりの意味がある。例えば、十年ほど前まで「切れる」といえば優秀であることを意味していたけれど、今、新聞テレビ小説どれをみても「ヤバイやつ」の意味で、誰も違和感を感ずることなく普通に使ってる。本来の意味とは違う誤用であったとしても、定着するものは定着するし、そこまで広まらなければ消えてしまう。それでいいのだ。
ただ、もう少し「本当はね、こういう意味なんだよ」ということも考えて欲しいんだな。要するに、「正しい意味を知らないがために誤った意味が定着する」というのはイヤなんだ。「本来はこれが正しい使い方だけれど、こっちの使い方の方が、なるほど、いいよね」と思えるからそちらが定着した、そういうのならばわかる。納得できる。きちんと両者を比べた上でどちらを選ぶか考えて欲しいのだ。
・・なるほど、僕の「気持ち悪さ」の根源というのは、その辺にあったのかも知れないな。「正しい使い方と誤用」の違いをわかった上で、あえて誤用を用いるなら気持ち悪くはない。知ろうとしない人々によって言葉が消えていくのに耐えられないのだ。どういう言葉遣いにしろ、少なくとも「自分とその周辺しか見ていない状態であれこれいう」というのだけはさけたいな。
・・ちなみに、「役不足」。知ってるとは思うけど、「本人に対して、与えられた役割が軽すぎる」こと、すなわち「この人はもっと優秀だ」ということを意味する言葉であります。本人に対して与えられた役割が重すぎるのは、役不足ではなくて「力不足」でありますよ。もちろん、知ってたよね?
公開日: 木 - 6月 24, 2004 at 07:22 午後