外見と中身


・・のどちらが大切?とかいうことはよくいうけど、でもそれより「一致しているか」のほうが大事じゃないか?と思うのでした。

親子で公園に行ってきた。今日は近所の家の子もつれて4人でのお出かけだ。といっても別に誘拐してきたわけではなくて、そこのお母さんが身重なためあまり子供を外に連れていけないので、一緒に誘ってやってきたというわけ。今日は土曜日ということもあってか、しばらくしていると幼稚園ぐらいから小学校低学年ぐらいの子供が次々とやってきて、なかなかにぎやかだった。

で、だ。いろいろ子供たちを眺めているうちに、思ったのだ。「かわいくない子が多いな」と。——などというと「またバカ親話が始まったな、それに比べてうちの子はかわいいんでしょ」とか思うだろう。けど、そうではない(そうなんだけど)。かわいいと思う子もいるんだけど、かわいくないと思う子もいる。で、それは別に顔かたちの問題ではなくて、ブズだけどかわいい子もいれば、かわいいけどかわいくない子もいることに気がついたのだ。(←ほとんど日本語として破綻している日本語だけど、そうなんだよね)

顔かたちや着ている洋服などがとってもかわいくても、なんとなく「あー、かわいくないな、この子」と感じる子はいる。逆に、別に取り立ててかわいい顔立ちでもなく洋服もふりふりなやつでないのに「あ〜、この子、かわいいねえ」と感じる子もいる。なんだろう、この違いは・・と思っているうちに、なんとなく気がついたのだ。それは、「外見」と「中身」の問題だ。

ミキハウスの明るくてかわいらしい服を着て、かわいらしい髪形をして、しかしなぜか陰険そうな顔で人を見る子がいる。それは「かわいくないなあ」と思うんだな。そう、いわゆる「性格ブス」ってやつかね。——ただ、ここで「やっぱり人間、外見より中身よねえ」となれば当たり前の話なんだけど、実はそうはならない。そういうことを考えているうちに、逆のパターンもあることがわかってくるからだ。つまり、とっても性格がいいんだけど髪形も着る服も無頓着だったり不潔だったりする人。それは、まあ子供ならばかわいいで通るだろうけど、大人になったら「なんで少しぐらい身の回りのことを考えないんだろう」と思われてしまうだろう。決して「中身がいいからいい人」とは思われないよね。

要するに、「外見」と「中身」が合っていないのが問題なんじゃないか。例えば、とてもおしとやかな物腰の人と、がっはっはと下世話な態度の人。好き嫌いはあったとしても、どちらがいいというわけではない。が、どっちもスーツを着ていれば、上品な人が「すてき」と思われる。逆に、どっちも野良仕事の恰好をしていたら、がははのおばさんのほうが「気さくで楽しそうな人」に見える。要するに、両者が合っている人は見ていて心地よく、合っていない人はどうも不快なのだ。

そういう視点から考えると、見ていて「これはちょっと・・」と感じる人間ってのは、外見と中身が一致してない人が多いような気がする。女子高生で制服を着たまま駅のホームであぐらをかいて座っている女の子。やたら高級そうなスーツを着てキャッチセールスをしているにいちゃんたち。いかにも立派そうに見えながら年金も納めてない政治家さん。外見と中身が合ってないんだ。だから気持ち悪いんだ。うんこ座りする若者がみんな鍬を持って野良着姿だったら誰も不快には感じないだろう。

昔から、日本では「身の丈にあった」という言葉が使われていた。これは、そういうことなんじゃないか。「中身にあった暮らし、中身にあった外見、それが一番いいんだよ」ということ。昔の人の知恵として、それがもっとも人として自然で美しいんだ、ということを伝えていたんじゃないか、と思うのでした。——うちの娘も、これから注意しないとな。なにしろ外見がかわいすぎるから・・(以下、親バカ略)

公開日: 土 - 5月 15, 2004 at 01:37 午後        


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