集団行動って?
集団行動の意味をとっ違えている人間って多いんでないだろうか。
いやー、このところ娘が夜にぐずることが多くてなかなか録画した番組が見られない。本日になってようやく「しゃべり場」を見られたのでした(笑)。で、今回、「集団行動をちゃんとしろってば」というような話をしておりました。いわく、学校は集団行動を学ぶ場である。いわく、学校で集団行動をきちんとできない人間が社会に出て困ることになるんだ。ま〜、いわんとすることはわかるけど、「学校は集団行動を学ぶ場だ」ってのは、せいぜい中学校まででないかい? 高校生にもなって、集団行動を学びに学校へ行くの? そういうのは義務教育で済ませといてよ、と突っ込みどころはいろいろありましたが、それはおいて。
ちょっと気になったのが、彼らのいう「集団行動」というものの定義が僕の考えているものと違う、という点なのであった。——例えば、学校で集会とかのとき、先生が「集合!」とか「整列!」とかいったらきちんと集まったり整列したりする。そういうことをいっていたのだよね。で、「集団行動ができていない」というのだけど。
それは、集団行動ではないだろう? それは、単に「命令に従う」というだけのことだろう? 例えば、王様の下にたくさんの奴隷がいて、王様の命令に奴隷が一糸乱れず行動をする。それは「集団行動ができている」とはいわない。それは単に「他人に従属している」というだけのことだ。仲間どうし遊びに出かけたり酒を酌み交わしたりすることもなく、ただ黙々といわれた命令に従って生きている。それは集団行動ではない。——だが、そこで「みんなで力を合わせてこの境遇から抜け出そう!」と一人が考え、みんなで協力し、支配者に叛旗を翻し、脱走する。そのとき、初めて「彼らは集団行動ができた」のではないか。
組織の中で、上からの命令に反抗せず従うことを「集団行動」と錯覚している人間は多い。だが、それは「行動」ではない。行動とは、「人間が能動的に何かを行なうこと」なのだ。外部から力を加えられてただ単に体が動いた、というのを行動とはいわない。ある集団が、能動的に何かを行なおうとして動く、「集団行動」とはそういうものではないのか?
そこを勘違いしているから、「自らを殺して集団のために尽くす」などとわけのわからんことを言い出す輩が出てくるのだ。それは、「集団行動ができない人間」だからそんなことを考えるのだ。人を自分に隷属させるか、あるいは自分が人に隷属するしか集団のあり方を考えられない人間。集団行動のできる人間とは、その集団やその目標をよりよいものにするために自分はどうすべきか、それをそれぞれが考え行動に移せる、そういう人間のことではないのか。
それにしても、なぜ、こんなにも若いのに、社会に従属することを良しとする感覚の人間がこんなにも多いのか。もっと真剣に「集団行動」というものを学んで欲しいよ、と思うのでした。
公開日: 日 - 9月 5, 2004 at 06:48 午後