Macの誕生日によせて・・


本日、2004年1月24日は、Macintoshの20回目の誕生日。とうとう成人だ。
かつてはカリスマな魅力を誇った製品も、今は祝う人もなし、か・・。でも多分、それはよいことなんだ。

Macintoshといえば、ご存知アップルコンピュータのパソコンであります。これが誕生したのが今から20年前、1984年の1月24日のことでした。当時、Macは発表とともに熱狂的に支持され、多くのMacフリークを生み出したものでした。84年って何があった年かといえば、あのロス疑惑事件があった年(笑)。ほんと、時代を感じますねえ。更にいえば、「風の谷のナウシカ」の公開もこの年。今やおっさんである僕も、まだ若者でありました。

Macが登場したとき、僕はまだフリーターだった。芝居をやりながら、たま〜に秋葉原のアップルショップに通ってた。その頃、僕はapple ][ユーザ(っても実はコンパチマシン)で、パソコンといえばapple][という時代だった。Macは、どう見てもパソコンじゃなかった。よく「文房具」といわれたけど、それも違う。なんだろうなぁ、正直いって、あんまり魅力的なものには見えなかった。当時のアップルフリークが圧倒的に支持していたのはLisaで、これはMacの前身となるワークステーションなんだけど、それがあまりに美しかったため、Macは「出来の悪い弟」って感じだったんだ。

だけど気品ある、だが決して自分を安売りしない気高き姉は、気高すぎる故に世間には受け入れられず、出来の悪いやんちゃな弟がずんずん辺りに浸食し始めた。それでもまだ、僕はMacに走らなかった。その頃は既にアップルショップでバイトをし始めていて、貯めた金で今は亡きコモドール社のAmigaという名コンピュータを買って使ってた。雑誌にぽつぽつと記事を書くようになったのもこの頃だ。——そして87年になってようやく僕も「仕事柄嫌々」Macを購入した。Mac Plusという3代目の機種で、当時65万ぐらいしたやつを、Canonの店員価格とやらで(そう、当時はCanonがMacを売ってたのだ)39万8千円で購入したのだ。そして日本で最初のMac雑誌「Mac World」(その頃は既に「Mac+」と改名してた)にMacの記事を書くようになった。そして——気がつけばフリーとなり、テクニカルライターという職業を生業とするようになっていた。不思議なものだ。思えばMacが誕生した頃、僕は自分がこんな仕事をするようになるなんて想像だにしていなかった。

Macの誕生祝いのつもりで、日本のMac黎明期の本や雑誌をちょっとめくってみたけれど、その当時の凄まじいユーザ・パワーというのを感じる。バカ高い、ソフトもない、日本語なんてろくに使えない、情報も仲間もない。そんな中、日本のMacユーザの草分けたちは猛烈なパワーでMacの世界を開拓していった。ごく普通のユーザでさえ、当たり前のように英語のソフトを改造し日本語に書き換えて使ったりしていた。米国からMacの専門誌を取り寄せ、ほとんど辞書と首っ引きになりながら毎晩夜明けまで読んでいた。それだけのパワーがなければ、Macなんてとてもじゃないが使えなかった。

Macは、普及した。いや、Windowsなんかに比べればはるかにシェアも少ないけれど、少なくとも「普通のパソコン」として普通に販売され、誰でも買える時代になった。ユーザは、日本語版のソフトを金を払って購入できるようになった。取り立てて苦労もなくソフトを使えるようになった。そして、Macの世界からは、あのパワーが失われた。それは多分、よいことなんだろう。いつまでも、あのすさまじいパワーを必要とする時代が続いたら、Macは普及しなかったし、僕らはみんな過労死しただろうから。

そして20年目。気づけば、誰も「Macの誕生日」を祝おうと思わなくなっていた。取り立ててイベントもなく、大半のMacユーザが気づかぬうちに誕生日は過ぎ去ろうとしている。いいことだ。誰も、単なる家電製品の誕生日を祝おうなんて思うわけがない。Macはごくありふれた製品になれた。それは、遥か昔、僕らが夢見たことだ。

——しかし、夢の実現ってやつは、なんだってこうも淋しいんだろう。

公開日: 土 - 1月 24, 2004 at 07:05 午後        


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