ムショを出たらハイ、それまでよ


刑務所を出たばかりの男が、1歳の子供を殺した。哀れな。殺された子供も、そして殺した男も。

愛知県で、また痛ましい事件が起こったね。スーパーの子供を遊ばせる施設に男が乱入し、ナイフで刺された1歳の子が死亡したという事件。なんともいえない、いや〜な感じの事件だった。それは、事件の悲惨さということだけでなく、犯人が、1月に刑務所を出所したばかりの人間だった、という点だ。——その男は出所した後、放置自動車の中で寝泊まりしながら、仕事を探しに名古屋まで移動していたところだという。「殺せという声がした」だの、精神的にどこか病んでいたような様子もある。

僕が何より驚いたのは、刑務所を出所したこの男が、路上に放置された車を見つけて寝泊まりしながら、名古屋まで仕事を探しに移動していたところだった、ということだ。ということは、この男は帰るべき家がなかったのか。引き取る人間がいなかったのか。「そんなやつ、引き取る人間がいるわけないだろ」と思った人。こういう事件を起こすような人間だから誰も引き取らない、のではない。誰も引き取らないのが当たり前と大半の人間が考えるような世の中だから、こういう事件を起こす人間が出てくるのだ。

多くの人間は、犯罪者についてものすごく大きな勘違いをしているところがある。それは、「罪を犯した人間は、刑務所に入る」という誤解である。いや、誤解じゃないんだけど、ほとんどの人間は「そこで終わり」と思っていたりする。そうではない。犯罪者のほとんどすべては、必ずこの社会に戻ってきて、ここで暮らすのである。ところが多くの人は、まるで犯罪者は「この社会に戻ってこない」かのように錯覚している。そうじゃないか? 「戻ってくるのが当たり前」と思っているのであれば、戻ってきた犯罪者を再び社会の中に受け入れるのも当たり前であるはずだ。ところが多くの人は、「犯罪者を社会に受け入れるなんてまっぴら御免だ」と思っている。受け入れることを拒否している。

刑務所は、犯罪者を罰する施設である。そう思ってる人間はずいぶんと多い。刑務所は、更生施設なのだ。犯罪を犯した人間を更生し、再び社会で暮らせるようにする、そのための施設なのだ。この「再び社会に戻れる」ということがもっとも重要な部分であるはず。——刑務所を出所した人間にいき場所がない。家もない、引き取り手もない。それは、実は「異常な事態」なのだ。

法務省には「保護局」と呼ばれる部局がある。ここが、更生施設(刑務所とかね)を出た人間の更生保護のための活動を行っている。仮釈放されたような人間は、必ず保護観察官がつけられ、一定期間の間、地域社会の中で生活できるかどうか保護観察される。満期釈放された場合はこうした保護観察はないのだが、住むところがなかったり、仕事がなくて暮らせなかったり、頼るべき身寄りなどが全くないような場合には「更生緊急保護」といって宿泊所や食事衣料の提供、社会訓練、就職援助などを行なうようになっている。これは出所後、1年以内であれば誰でもうけることができる。

今回の事件の犯人を見れば、こうした更生の仕組みが、全く機能していなかったということがわかる。刑務所で刑期を終えたら、ぽいと放り出しておしまい、後はどこでのたれ死にしようが知ったこっちゃない、ということになってはいないか。それは「一度罪を犯した人間は二度と社会の中で暮らせないんだ、思い知れ」ということではないか。

「お前は、何の罪もない1歳の子供を殺した人間を擁護するのか?」と思うかも知れない。僕は、決してこの男の犯した罪を擁護するつもりなどない。だが、少なくとも「この男がこんな犯罪を犯さないで済む道があったはずだ」ということも、誰かが指摘しておかなければいけないとも思うのだ。刑務所帰りの身、戻る家もない、金もない、仕事もない。自分がその立場に置かれたらどうする? 打ち捨てられたまま黙って餓死するか凍え死にますか? 僕はそんなのは金輪際イヤだ。強盗だろうが何だろうがやってでも生き延びようとするだろう。そして、この冷たい社会に必ず復讐してやろうと思うだろう。僕ならば、必ず。

日本の脱獄王と呼ばれ、4度の脱獄を成功させた白鳥由栄という人間がいる。吉村昭の「破獄」のモデルとなった人なので知っている人も多いだろう。刑務所に入れられる度に「こいつは極め付きの悪党だ、絶対に容赦するな」といわれた。白鳥も「絶対に脱獄してやる」と固く決意する、その繰り返しだった。扱いは次第にエスカレートし、「絶対脱獄不可能」といわれた網走刑務所では、独房の中、両手両足に鎖玉のついた手枷・足枷をつけられ、絶対にはずせないようボルトを締めた上に溶接され、床に転がされ、用便も垂れ流し、食事は犬のように這い回って食うという、ほとんど畜生以下の扱いを受ける。鉄の手枷足枷は手足に食い込んで腐食し、骨が露出してウジがわいたという。そんな状況でさえ(いや、そんな状況だからこそ?)この男は、毎日味噌汁をボルトにかけてその塩分で鉄を腐食させ、数ヶ月かけて脱獄を成功させている。

——この「もはやこの男を収容できる刑務所は日本に存在しない」とまでいわれた男が最後に入れられたのは、府中刑務所だった。ここの所長は「誰であっても囚人に差別はしません」といい、ごく普通の囚人として扱った。その結果、白鳥は模範囚となり、刑期を勤め上げて出所。その後、建築現場で働いて、その後再び刑務所に入ることなく71歳まで生きた。どんなに厳しい仕打ちも、人間を屈服させることはできない。そのことを、僕らは長い歴史の中でイヤというほど学んできたはずだ。

社会から排除し拒絶しようとするほど、こうした犯罪者は増えていく。それは、僕らが自分で作り出し増やしているのだ。かの事件に、「もし、この男を受け入れる体勢が整っていたなら・・」ということを僕らはもっと考えなければいけない。「なんでこんな男を刑務所から出したんだ。一生、ムショの中に閉じ込めておけ!」という声にかき消される前に。

公開日: 土 - 2月 5, 2005 at 03:19 午後        


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