自分以外は知らない


世界中の不幸よりも自分の利益が大切。それでいいのか?

もうずいぶん前になってしまうんだけどね。・・金曜夜の「しゃべり場」で、前に放送した内容へのお便りとかを紹介するコーナーがあるんだけどね。そこで、将来新聞記者を目指している中学生の男の子が提言した「みんな視野が狭くないか?」ということについての投稿が紹介されていたのだ。

この男の子は、小学生のときにカンボジアに行って、ストリートチルドレンだの、自分と同じぐらいの歳で売春で生計を立てる子供だのを目の当たりにしてショックを受けて、もっと世界に目を向けなければいけないと思ったという。今の十代は、学校とか友達関係とかそういうものすごく狭い世界のことばかりしか考えてない人が多すぎる。もっと広く世界に目を向けるべきだ。そうすることで自分の視野も広がり、成長するはずだ。そういうのだね。

全くもってその通りで、ぜひとも頑張って欲しいと思うのだけど、そのときのメンバーの意見を聞いていると、わけのわからない反論がとても多いのだった。——そして今回、視聴者からの投稿が幾つも紹介されていたのだけど、それも聞いてて首をひねるようなことをいっていたのだった。

彼らはこういうのだ。「確かに世界に目を向けることも大切だと思う。だけど、身の回りのことであっても、そこから視野を広げ、自分を成長させることはできる。それに遠い世界に目を向けるあまり、身の回りのことがおろそかになってしまうのではないか。もっと自分に身近なところから考えたほうがいい。そうして身の回りから少しずつ自分の視野を広げ、成長することだってできるはずだ」

それのどこがおかしいんだ?と思う人。——あのね、一番重要な部分がすっぽり抜けてるでしょうが。自分の視野を広げる。自分を成長させる。それは確かに大切だけど、そんなことより遥かに切実で大切なことがあるでしょうが。それは、今、この瞬間にも、世界で多くの人間が不幸に喘いでいるというその事実だよ。そこから目をそらして、見ないようにしていいのか?という問いだよ。この中学生の男の子が発するもっとも重要なその問いに答えずに、「自分の視野を広げる」だの「自分を成長させる」だの、枝葉のところばかりに反応してどうする。自分が、自分が、自分自分自分。自分だけなのか、この世に生きているのは。

なぜ、そうやって何でもかんでも「自分」に結びつけて考えるのか。なぜ「自分にとってどうなのか」ばかり考えるのか。世の中には、自分というのを差し置いても考えなければならないことがあるはずじゃないか。自分に無関係でも、自分に不利益でも、自分に負担でも、それでも考えなければいけないことが。情けは人のためならずじゃないけど、自分とは関係ないけど回りのために何かしないといけない、それがいつの日か世の中のためになり、回り回って自分のためになる(かも知れない)、それが世の中じゃないか。

あんたが成長しようがしまいが、んなことはこっちにはこれっぽっちも関係ないのだ。そんな無駄なことを電波使って日本中津々浦々まで伝えるな。この世界の至る所で行なわれている非道、それを知ろうと思えば知り得る立場にありながら知ることを放棄する、その是非を問われているのだ。たかだか中学生の少年に、そんな世の中の理不尽を真っ正面から突きつけられているのだ。それに答えるべき言葉を僕らは持っているのか? そのことを考えずしてどうするのだ。

「しゃべり場」を毎回見ていてつくづくと思うのだけど、なぜ若いうちというのは、あんなにも「自分」が大切なのだろう。興味の対象といえば「自分」だけだ。自分に利益があるか、自分の人生がどうなるか、自分を認めてくれるか、自分が傷つかないですむか、そんなことばかり。「この際、自分のことなんてどーでもいいだろ」ということはないのか。

どんなに「自分」のことばかり大切にし考え続けても、世の中は「自分」のために回ってくれはしない。たまには、自分なんてものをどっかにおいて、他人のことを考えてみて欲しいのだ。そうすることで自分にどんな益があるか、ではなくて。益がないことをわかった上で、そう考えてみて欲しいのだ。世の中は、自分以外は全部他人なのだ。他人によって世の中は成り立っているのだ。自分以外のすべてが不幸のどん底で、自分だけが幸せになれるわけがない。

たまには、そのいつもかぶってる重たい「自分」って鎧をおろしてみなさい。自分のことなんてどーでもいいなら、今より生きるのも楽になるかもよ。

公開日: 月 - 3月 28, 2005 at 04:29 午後        


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