悲しむべき殺人者


15歳の弟が兄を殺す。・・だが世の中にはもっと悲しむべき殺人者もいる。

15歳の弟が17歳の兄を滅多刺しにして殺すという事件があった。どうやら長期間に渡り、弟は兄から暴力やその他のいじめを受けていたようで、殺した弟への同情がかなり集まりつつあるようだ。——ネットなどで検索をすると、「これだけひどい目にあったのだから殺したのはしょうがない」的な意見がけっこう見つかる。そこまでいかなくとも、情状酌量を願う意見はずいぶんと多い。逆に、「どんなにひどいめにあっていたとしても殺すのはやり過ぎだ」というような意見は小数のようだった。

これらをいくつか見ているうちに、僕はちょっと奇妙な感じを受けた。それは、「兄はひどいやつだったから殺されても仕方がない。弟は悪くない。罪を軽くしてやるべきだ」といった意見を述べている人の多くが、その一方で「人を殺したやつはみんな死刑にすべきだ」的な意見を述べていることに気がついたからだ。一方で「犯罪者はみんな殺せ」的なことをいいながら、もう一方で「この犯罪者は助けろ」という、この矛盾。一体、どういう考えでこういうことになるのか何ともイメージできないのだ。

最近、こういうことをよく見聞きする。一方で「こういうやつらはみんな悪人だ」的なことをいいながら、もう一方で「この人は悪くないんだ」的なことを述べる。「総論悪人、各論善人」というべきか。もちろん、その反対の総論善人各論悪人もあるのだけど、要するに全体としていっていることと、個々の意見が食い違っているのに、そのことに何も疑問を感じないのだね。

まぁ、僕だっておそらくこうしたことはどこかでやってるだろう。特に自分自身のことに関わってくると、「総論はこうだ」といっておきながら「いや、僕の場合はごにょごにょ・・」などと別の逃げ道に逃げ込むことなどしょっちゅうやってそうな気がする。——誰しもこうした「総論賛成各論反対」的なことはやってしまいがちだとは思う。ただ、この「犯罪者はみんな死刑だ」という総論は、どうにも僕には理解できないのだ。

人を殺したやつはみんな死刑にしてしまえ。そういう意見が意見としてあることは理解できる。だが、それを主張する人間が、「この人は悪くない。かわいそうだ。罪を軽くすべきだ」と殺人者を擁護する。そこがわからない。——「だって、人を殺したとはいっても、この人の場合は本当にかわいそうなんだ。これだけひどい目にあったら、我慢できずに殺そうと思うことは誰だってあるはずだ」と、これらの考え方の人は主張する。もっともだ。それは確かにそうだ。

・・では、なぜ、報道されないその他大多数の殺人事件についても同じような理由があるのではないか?とは考えないのだ。

15歳の弟はかわいそうだ。確かに、情状酌量するにあまりあるものだと思う。だが、世の中にはそれよりももっとあわれな殺人者がいる。それは、事件に至るまでにどんな事情があったかということさえ全く人に知られることのない人間たちである。今回の事件は「15歳」ということと、「弟が兄を」ということで、事件性が高かった。そのため多くのメディアが注目し、その背景を報じた。だが、こうした事件は稀だ。圧倒的多くの事件は「○○県で××を殺したとして□□を逮捕」といった囲み記事だけで終わってしまう。

——もし、今回の事件が「15歳の弟が兄弟喧嘩の末に兄を滅多刺しにして殺す」とだけしか報道されなかったらどうだろうか。おそらく今、「弟は悪くない」といっている大半の人は「こんなバカ弟、死刑にしてしまえ!」と叫んだのではないか。だとしたら・・「同情」と「死刑」を分けるものは、一体なんなのだろう。「人殺しは殺せ」という一方で、メディアによりその悲しむべき背景が広く報道された事件に関してだけは「この人を殺すな」という。その他の知らない事件については、どんなに悲しむべき事情があろうと見向きもせずに。

かわいそうだろうが何だろうが、すべて死刑にすべきである。——いっそのこと、そう主張するならばわかる。あるいは、すべて死刑にすべきではない。これもわかる。だが、「オレがかわいそうと思ったものは死刑にしない。知らないものは全部死刑」というのは僕には皆目理解できない。人間は神ではないのだ。他人から又聞きしたうわさ話程度で「こいつは死刑」「こいつは助ける」と判断できる人間などこの世にいるものか。

今回の15歳の殺人者は、悲しむべき犯罪者である。だが、たまたま「この人だけ」を哀れんで、それが終われば「すべて死刑」に戻るのだとしたら。この事件は我々に何の教訓も与えてはくれなかったのだろうか。——「人殺しは死刑だ」と叫ぶ人。あなたのいう「人殺し」とは、誰のことなのか。今回の事件が、多くの人が「人殺しとは誰なのか」を考えるきっかけになってくれれば・・そのことを切に願うばかりだ。この悲しむべき事件を今後に活かすとは、そういうことじゃないだろうか。

公開日: 金 - 6月 24, 2005 at 04:47 午後        


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