学歴詐称疑惑ですか・・


華麗なる学歴がぜーんぶ嘘だった国会議員先生が大変なことになってますね。
学歴がそれほど大切とは思わないけど、「そういうことを平気でする性格」はかなり問題ねぇ。

なんというか、情けないというか淋しいというか。すごいですねえ、某国会議員先生。ペパーダイン大学だのUCLAだのといったきらびやかな学歴が、ぜーんぶ嘘だったみたいね。本人、「国会が終わってから渡米し、1つでも2つでも単位を取りたい」ということだそうで。——だけど、19単位も足りなかったってんだけど、それだけ足りなかったら、普通「卒業できた」と勘違いすることはありえないんでない? それにUCLAの「大学名を勘違いした」なんてことは、これはUCLAを知ってれば絶対にありえないでしょうに。「東京ナントカ大学卒業」を、つい勘違いして「東京大学卒業」と書く人、いると思う?

ま、確かに「学歴を見て投票するわけじゃない」というのは正しいんだけど、ただ、だから問題がないっていうわけじゃない。この人、国会議員の前に県会議員を2期やってるんだよね。で、もちろん県会議員のときは、学歴詐称なんて問題は起こらなかったわけだ。ってことは、この人、この経歴で全く疑われることなく今まで生きてきたんだよね。「ばれなきゃ嘘ついて自分を飾っても何とも思わない」という人だったわけだ。そういうのを「恥ずかしい」と思わない人なわけだ。そのことの方が問題でないかい? そういう人に、日本の将来を担って欲しいって僕にはとても思えないよ。

うちの嫁は、よく「お天道様が見ている」という言葉を使う。これは、とても心があったかくなる言葉だな、と僕は思う。何かちょこっとズルやワルダクミを考えちゃったりしたとき、「でも、お天道様が見てるもんなぁ」って思うと、とんがってた悪心がほにゃほにゃと溶けてくる気持ちがする。——古来より、日本ではありとあらゆるところに神様がいた。石にも草にも、どんなものにも神様が宿っている。だから、例え誰も見ていなくても、どこかで神様が見てるに違いない。昔の人はそうやって生きてきた。

欧米にしろアラブ世界にしろ、宗教がしっかりと社会に根を下ろしているところでは、きっとこういう「神様は全てご存知だ」という感覚が今でも残っているのだろう。日本は、いつの頃からかそういう「人間様を遥か超えたところからの視点」というものを見失ってしまった。「黙っていれば人間はわからない、でもそのずっと上のところから見ている誰かさんには、すべてまるっとお見通しだ」という感覚がなくなってしまったんだね。——某国会議員先生の事件の報道を見ていて、その事件そのものより「そういう淋しい社会に日本はなってしまったんだなあ」という慨嘆のほうが大きかったのでした。


・・でもまぁ、「じゃあ、お前は正直に経歴を出しているか」といわれると、僕なんか「申し訳ございませんでした」と平謝りに謝るしかなかったりするんだけど。はっはっは
(僕の本をお持ちの方がいたら、著者略歴にどういうオーボラが書かれているか確かめてみましょう)

公開日: 水 - 1月 28, 2004 at 07:16 午後        


©