今まで大丈夫だったから大丈夫
・・人間のもっとも基本となる行動原理ってのは、これかもね。
ITmediaニュースでちらっと見たのだけど、インターネットの世界で、IEのシェアが急落しているらしい。IEは、インターネット利用者のWebブラウザとしては「不動の95%」という地位を築き上げて来た。どんなことがあっても、95%というシェアは微動だにしなかった。それが、今年の5月以来、じりじりとシェアを落とし、この11月になって遂に90%を割り込んで88.9%にまで低下したという。
まぁ、たとえ88.9%という数字が正しかったとしても、まだまだ圧倒的なシェアを持っていることは間違いない。だから、これで何かが急激に変わるというようなことはないだろうし、当分はIEの天下が続くだろう(ただし、あくまで「当分は」だ)。重要なのは数字ではなく、「なぜ、ここに来てそんな変化が起こっているのか」ということだろう。IEに変わり、急激にシェアを伸ばしているのが「Firefox」である。そして、Firefoxブームの後押しをしているのが、他ならぬIEだ。今年になって、IEがらみの「深刻なセキュリティ問題」は、いくつか覚えてないぐらいにたくさん出て来ている。これに不安を感じている人々が、「とりあえずIE以外の予備も用意しておこう」と思って動き始めているのだろうね。
このニュースから、何を教訓として得るべきか。——多くのインターネットメディアなんかでは「マイクロソフトも遂に見放されるか」「いや、これでマイクロソフトはIEの強化に本気で取り組むことになるだろう」というようなビジネスライクな総括をするのだろう。が、このブログではそーゆーことは考えない(笑)。
このニュースを見て僕が感じたこと。それは、「人間は、どんなに専門家などが警告しても、自分で何も感じなければそうそう動かないものなんだな」ということだった。確かにIEのシェアは少しずつ下がっていて、Firefoxなどが増えてはいる。だけど、あれだけひっきりなしに「安全に問題がある」といわれ、多くの専門家が「IEに代わるWebブラウザを用意しなさい!」と叫び続け、実際にウイルスに感染したりファイルが壊れたり個人情報が盗まれたりといった被害にあっても、それでも大半の人は「IEでいい」と思っているのだ。
おそらく、大半の人は「IEがそんなに危険なものだと思ってない」「IE以外のブラウザなんて知らない」という感じなんだろう。その人のパソコンはインターネットにつながっているわけで、ちょっとgoogleで検索すればタダで使えるブラウザも、IEでどういう問題が起こっているかも、更には「あんたのパソコン、ウイルスに感染してるよ」と教えてくれるサイトもすぐに見つかるというのに、ほとんどの人はそれさえしようとしない。そして、こう主張するのだ。「大丈夫。今まで使ってて問題なんてなかったから」
そうなのだ。実に不思議なことに、人間ってやつは、専門家の意見や客観的判断よりも「自分の今までの経験」のほうを信じる。IEに限らず、こう思うことってけっこうあるよね。「自分は今まで大丈夫だった、だから大丈夫だ」的なこと。逆に、世間の評判がすばらしくて誰もが高く評価する製品などでも、たまたま自分の買ったやつが故障ばかりしたら「これは最低だ!」と判断したりする。広い世界の専門家や多くの人間による客観的な判断より、自分個人というものすごく狭くて小さい世界におけるちっぽけな経験のほうを人は信じるのだ。
こういうことってけっこうあちこちで見られる。例えば、かの三菱自動車は、販売台数が昨年比で7割も低下したという記事を前に読んだ。「7割低下」といえば「そりゃあ激減だな」という感じがするかも知れない。だが、これは見方を変えれば、昨年の売り上げの3割に相当する人が、あれだけ徹底的に叩かれた三菱自動車を新たに買っているのだ! トヨタもホンダも日産も山のように車を出しているのに、わざわざ、あの、三菱自動車の車を、自ら選んで、買っている、のだ。そう考えると、これはちょっとすごくないか? 世間では、一時は毎日のように事故が起こって「三菱車が燃えない日はない」とまでいわれていたというのに、「いや、オレは今まで三菱を使っていて何の問題もなかった。大丈夫だ」と思った(かどうか知らないけど)人がいるわけだよね。
客観的な判断とか、専門家の意見とか、統計や各種のデータとか、そういうもので人は動くわけじゃなかったりする。もちろん、そうしたもので動く部分もあるけど、世の中の大半の部分というのは「オレがそう思ったからそうなんだ」で動いていたりするんだな——ということを、つくづくと思ったのでした。
じゃあ、そういう人間を動かすことはできないのか? たぶん、一つだけ方法はある。それは「自分の誤りを認めざるを得ないぐらいに決定的な痛い目に遭うこと」だ。そう、「自分の経験」でしか物事を考えない人間は、「自分が経験すること」によってしか動かない。
偉そうにこういうことを書いてるけど、きっと僕自身もいろんなところでこういう判断をしてるんだろうと思う。「今までの経験から・・」と考えるようなときは、このことを思い出すべきだな。「おい、お前の経験は、世界中の専門家よりも、世界中の同じ経験をした人間たちよりも重みがあるのか?」と。——痛い目に遭うまで自分の間違いに気づかないってのは、人間としてあまりに情けない。せめて「オレ、間違えてるのかも」と感じるぐらいはできるようにありたいものだね。
公開日: 木 - 11月 25, 2004 at 07:02 午後