神をも怖れぬ所業


・・なんだって宗教人ってのは、あんなにも争いごとが好きなんだろうね。

昼ご飯を食べていると、不意に来客が。出てみると、ご近所のお母さんと他一名。何だろうと思っていると、「聖教新聞ってご存知ですかぁ?」と言い出したのであった。——ぐえ。これにはまいった。こちとら新聞の勧誘なら、あの「ヤクザより始末が悪い」といわれる読売新聞の勧誘員でさえ叩き出す自信はある。が、ご近所の、しかもうちの娘と一つ違いの子のお母さん(とーぜん、その子と遊んだりもしてる)がやってくるとは・・。

なんといったか覚えてないが、とにかくひたすらお断りし、「じゃあ、これだけでも」といって押し付けていった聖教新聞だけ受け取り、早々にお引き取りいただいたのであった。ご近所付き合いというやつが絡んでくると、この種の勧誘は実に断りにくくなってくるね。まぁ、家を買って落ち着くというのはそういうご近所がらみのやっかいごとも背負い込むってことな訳で・・。ま、狂信的な人ではないので、あんまり恐ろしいことにはならないだろう。

で。飯が終わったところで、置いていった聖教新聞とやらを眺めてみた。・・・す、すごい・・・。世の中に、まだこういう世界があったとは・・・。これ、北朝鮮の話?・・・。い、いや、なんでもないですははは。それにしても、創価学会の人というのは毎日、こんな新聞を読んでいるのだろうか。もちろん、他にも普通の新聞も読んでるんだよね? これだけ、ってことはないよなぁさすがに・・。・・洗脳・・。い、いや、なんでもないですよははは。ひ、ひとりごとははははははは。

まぁ、宗教なんだし、あがめ奉る人のことを外野があれこれいうのはやめましょう(オレだって命が惜しいし)。が。読んでいて愕然としたのは、そういうことだけでもなかったのだよね。それは、新春座談会と銘打って、なんとかかんとかの理事とか副理事とか、多分偉い人たちが集まっての座談会みたいなのが載っていたのだけど。それは阿部日顕という日蓮正宗の法主との裁判についての話だったのだね。

どうも詳しい事情がわからないので何がどうなったのか大まかなことしかわからないんだけど、創価学会というのは日蓮宗なわけだよね。それが、日蓮正宗から学会は破門されてしまってるのだそうだ。創価学会はもともと日蓮正宗の在家信徒団体として誕生したんだけど、そんなわけで破門になっちゃったもんだから、その後、日蓮正宗との間に相当な攻撃中傷合戦があったことは想像できる。で、この座談会に載っていたのも、そうした一連のごたごたの一つの話という事のようだった。

まぁ、宗教団体同士の喧嘩ってのは僕にはよくわからないので突っ込むつもりはない。ただ、これは創価学会に限った話ではないんだろうけど、こうした宗教団体の人々というのは、宗教上の敵に対してはなんだってこんなに醜い姿を晒すのだろう、とつくづく思ったのだった。——その座談会の文面は、それはもうひどいもので、とても子供には見せられないようなことを口汚くののしり合っているのだった。その面々は、おそらく創価学会の中でもお偉いさんたちのはずだ。ということは、それだけ徳を積み、修行をし、その教えを深く理解し実践できている人たちなわけだよね。それが、「こうも人前でおのれの醜い姿を晒せるのか」と激しい不快感に襲われるほどに口を極めて相手をクソミソに罵るのはどういうわけなのか。ほんとにこの人たち、立派な宗教人なの??

宗教の争いってのは、特にその教えの正しさに関するような事になれば「絶対に譲れない」みたいな部分があるんだろう。だけど、僕などのように宗教とは無縁の人間というのは、すべての宗教は基本的に「立派な人間を作るものなんだろう」という感じで見ていると思う。少なくとも、信心深い人ってのは、自分なんかよりははるかに人にやさしく、心広く、できた人間なんだろう、みたいな感じはあるはずだ。それならば、たとえ自分の敵であっても、許せないような相手であっても、相手の過ちを許し、相手を諭し、それを神様仏さまの広い慈愛で包み込む・・というような人たちなんだろう、とか想像していたわけだ。汝の敵を愛せよ、というではないか。(といったら、嫁に「それはキリスト教の話でしょ」と突っ込まれてしまった)——それが、この有様とはね。

真っ当な神経をしていれば、この座談会を読んだ人間は、間違いなく引いてしまうはずだ。たとえ学会の人間であっても、日頃尊敬していた人が、悪魔も落涙するような聞くに堪えない罵詈雑言を叫んでいる姿を見てしまったら、それこそ百年の恋も冷めてしまうんでないか。とすれば、こんな記事を掲載してしまうのは学会にとって逆効果だろう。少なくとも、僕はこうした姿を見たら、即座に「あ、この宗教はニセモノだ」と思ってしまう。少なくとも「争いごとを肯定する宗教」なんぞが立派なわけはない。

なぜ、信心深い人々というのは、自分の宗教上の敵に対してだけは、普通の人間が想像もできないぐらいに憎み、怒り狂うのだろう。少なくとも、それはあなたの所属する宗教団体のイメージを決定的に悪くする。その姿は、多くのごく普通の人間に「この団体はおっかないところだぞ」という印象を与えるに十分なものなのだ。もっと、自分たちが所属する世界だけでなく、それが外部からどう見られているのかということを考えた方がいい。あなたは、その宗教団体の中だけの世界で生きているわけではないのだから。

公開日: 月 - 1月 24, 2005 at 04:50 午後        


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