権利と義務
選挙権って、「選挙義務」のほうが実は正しかったり、しない?
権利と義務は、逆にした方がしっくりきたりすることがあるんだな。
悔しい。実に悔しい。何って、選挙。いや、自民党は伸び悩み、民主党は躍進し、まぁ政権交代はできなかったけど、二大政党制への土台ができあがったという点は評価できる。でも、個人的にだけど、「じゃあ次は政権交代だ」となるか?というと、ならないように思う。なぜって、人間、熱しやすく冷めやすいから。次は、せっかく増やした民主党の議席もまた減って、結局「自民党と以下略」みたいな状態に戻ってしまうんでないか、と思う。鉄は熱いうちに打て、だ。一気に政権交代まで突き進まないと、時間を置いてはダメだと思うんだ。
そこで、「実に悔しい」だ。今回の投票率は60%を切ったという。ここまで低くて、これだけ変化があった。もし投票率が70%を超えていたらどうなっていたか。実にドラスティックに政治は変わったのではないか。そう思う。テレビで、投票にいかなかった人にインタビューして、「投票しても何も変わらないし・・」とかいっているのを見ると、むかっ腹がたつ。「何も変わらないのは、お前のせいだ!」と。お前が、みんなが変えようとしているのを邪魔しているんだ。わからねーのか!?
選挙権という言葉。これはいっそ「選挙義務」としたほうがいいんじゃないか。そう思うことがある。——実は以前から、「権利と義務」は逆に考えた方が本質をとらえやすいんでないか、と思っていた。投票は、義務なのだ。この民主主義社会を支えていくために、面倒でも、必ずやらなければいけない義務だ。選挙権という権利の本質は、そういうことじゃないのか。
納税も「納税する権利」と考えれば面白い。我々には、国に税金を納める権利があるんだ。この権利を行使することで、我々は納めた税金を監視し、その使い道に文句を言う権利を得るんだ。そう考えるとしっくりきたりする。「義務だからいやいや納めてやるよ。納めたんだから、もういいだろ、あとのことはほっといてくれ」と思うより、税金に対するとらえ方がはるかに前向きになるってもんじゃないか?
こういうことを考えるようになったのは、ずいぶんと前だけど、新聞(だったか雑誌だったか)でとある作家がこう書いてあるのを見てからだ。「我々には、生きる義務と死ぬ権利がある」——ああ、そういうことだったんだ、となぜかすんなり思えたんだな。そうなんだ、生まれてきた以上、我々には生きる義務があるんだ。義務を果たさずに、一所懸命生きようとしない人間が、好き勝手に死ぬ権利を行使することなど許されない。それは、ちょうど十代の自殺などが社会問題化してきた頃だったと思う。「生きる義務を果たさない人間が勝手に死ぬ権利ばかり主張するんじゃない」という言葉は、とてもよく「生死」の感覚を伝えていたと思う。
「権利」というものを、「権利なんだから使おうが使うまいがオレの勝手なんだろ」というようにとらえる人間は多い。権利は、我々が死にものぐるいで勝ち取ったものなんだ、という意識は希薄だ。「自由に生きる権利」なんてよく人は主張する。が、「自由に生きる義務」のほうが時にはよく伝わる。長いものに巻かれ、学歴や家柄に巻かれて「まぁ、これでいいや」と生きる人間に対し、「あなたは、自由に生きる義務を果たしているか?」と問うならば何と答えるだろう。
権利と義務。たまに、それを逆にして考えてみてはどうだろう。どこか不思議と得心できるものがあると思うんだ。
公開日: 火 - 11月 11, 2003 at 02:50 午後