スポーツの筋書き


日本シリーズが終わり、星野監督が勇退ってことで、あちこちでオレのキライな番組をやってる。
なんでスポーツに「感動の裏付け」を求めるんだろう。

オレのキライな番組。それは、スポーツ選手の生い立ちだの苦労話だのをお涙頂戴にしあげたやつだ。星野監督も、ご多分に漏れずやってた。奥さんが何年か前にお亡くなりになっているのだけど、そういうのとかを引っ張り出してきて「星野は男泣きに泣いた・・」とかやっちゃったりして。ああヤダヤダ。(←って結局見てるのかよ)

「スポーツは筋書きのないドラマだ」とかいうけど、多くの人は「でもその裏にはこういう筋書きがありました」ってのを求めたがる。子供の頃、泣きながら父親にしごかれて練習したとか、母親だか姉だか近所の兄ちゃんだかが亡くなったとか、怪我を隠して出場し続けたとか、そういうのをわんさともってきて涙腺をうるうるさせる。「バカじゃないか」と思うんだけど、そういうのが大好きな人ってほんと多いらしい。

スポーツがすばらしいのは、人を感動させるのは、それが我々一般人にはとてもできないようなすばらしいプレイを見せてくれるからだ。「おお、すっげー!」と思うからだ。それ以外に理由なんてないし、それ以外のすべてのものは余計な枝葉だ。「一昨年、父親を亡くして悲しみを乗り越えて・・」なんてのを聞くと、「じゃあ父親が生きてたらお前は感動しないのか? ひょっとしてお前が父親殺したのか?」とか問いかけたくなる。

目の前で起こった奇跡のようなプレイに、純粋に感動できないんだろうか。だから、感動の追加を求めるんだろうか。それとも、そもそもスポーツなんか見て感動しない人間ばかりがスポーツを見ているんだろうか。

——延長10回までを一人で投げ抜いて自らさよならホームランを打ち、「野球は一人でも勝てる」と嘯いた江夏。高校を出たばかりのプロデビュー戦で読売ジャイアンツ打線をマウンドからにらみ付け、ノーヒットノーランを達成した中日の近藤。子供の頃から現在に至るまで、思えばすっげー連中にたくさんの興奮と感動をもらってきたもんだ。今でもその時の映像は脳裏にこびり付いていて、一生消えることなんかない。彼等の生い立ちがどうだったかなんて、一体誰が覚えてるっていうんだ?

公開日: 水 - 10月 29, 2003 at 04:26 午後        


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