著作権を抱きしめて
自分一人だけしか認めない作品の著作権を抱きしめ続ける人々。
ふと気がつけば、新規にホームページを開設する人の大半が、ブログを使うようになっているのに最近気づいた。僕は、ブログというのは「(本格的にやるには)大変すぎるから、ブログに逃げた」(笑)というようなものだと思ってたんだけど、今や立派な「メインのコンテンツ」となっているのだね。今ではブログは、単なるWeb日記という概念を超えて、けっこうまともな(本来、ブログなどではない形でまとめるはずの)コンテンツにさえ利用されるようになった。なるほど、こういう使い方もあったのか、と時には目から鱗が落ちることもある。
そう。僕が前からイメージしていた「Webサイト」というものと、今の多くのWebサイトはかなり形が異なって来ている。昔のイメージでは、時間をかけてコンテンツを用意して「よしっ! できたぞ!」となったところでいよいよ公開!という感じで、「がんばって作ったなあ」というコンテンツが用意できないぐらいならWebサイトなんか開くな、という感があった(オレだけ?)。が、現在のかなりのWebサイトは、「ブログ+掲示板+アルバム」程度であったりする。いずれも、基本部分はプロバイダや専用サイトが用意してくれていて、こっちは単に設定だけすれば自動でやってくれるものばかりだ。
お手軽にはじめられるというのは、それはそれでよい。おかげで、昔なら「とても無理」と思ってた多くの人が簡単にWebサイトを開設できるようになった。内容が薄くなったとか仲間内でしか楽しめないとかいったサイトもあるにせよ、そういうのがあっちゃ悪いってわけでもない。にぎやかになったのはよいことだ。
ただね。そうして「簡単に、たいした労力もなくコンテンツを自由に公開できるようになった」のと平行して、急速に不自由になりつつある世界があるように思えるのだ。それは、「著作権」という世界だ。——世の中のすべての作品には、著作権がある。これはわかる。が、それまでは「作品」というのは、やっぱり一定の労力をかけて作り上げたもの、というイメージが強かった。それが最近では、掲示板の書き込みからブログネタからメールのテキストまで、なんでもかんでも「著作権」を主張するようになってきた。・・まぁ、「ブログや掲示板が主流になって来たからそうなった」というわけではないんだろう。ただ、そういうサイトが増えて来たので目立つようになって来た、ということなのかも知れない。
著作権そのものは、大切だ。それは僕自身、著作権のおかげで生活しているわけだからよくわかっている。労力をかけて生み出した作品を保護するのは当然のことだと思う。ただ、この「当然の権利」である著作権を、まるで錦の御旗かのように掲げて声高に「たいした労力もかけていないコンテンツ」に対して権利を主張するようなことがずいぶんと増えているように感じるのも確かだ。そういうのを見る度に僕はなんともいえず奇妙な感覚を覚える。
はっきりいってしまおう。例えば、ブログ。例えば、掲示板。例えば、ケータイでてきとーに取り散らかした写真。そうしたものの9割は、とるにたらないコンテンツである(もちろん、このブログも含めて)。それを、「著作権」という名の下に不自由なぐらいにがんじがらめにしばるのはよいことなのだろうか。
別に「著作権を保護するな」っていってるんじゃないよ。そういうのとは別に、「著作権を放棄する」ってことの重要性も考えてほしい、ってことなのだ。「自由に使っていいよ」というコンテンツの存在なしに、この世界の発展はないように思うのだ。
僕も今までちっちゃなプログラムやらスクリプトやらを作ってはばらまいてきた。中にはいくつか「著作権は作者にあります」としたものもあるけど、たいした作品でないものは「著作権は放棄します。誰でも好き勝手に使って結構です」として配布して来た。ホームページを作っている人のかなりの割合の人は、著作権フリーの素材集などを利用したことがあるはずだ。あるいは、フリーで公開されている多くのプログラムやソースコード、テキストの類い。もし、こうしたものが一切なくなってしまったら、どうなるだろうか。世界はずいぶんと貧しくならないだろうか。
それにね。こういってしまってはでっかい誤解を生むだろうが(でもいってしまうが)、とるにたらないような掲示板の書き込みやブログのレスやケータイでとった写真などの著作権を声高に叫ぶ人の多くは、時間と労力をかけて作品を作ったことがない人なのでは?と思えてしまうのだ。もし、時間をかけて作品を作り発表するということを経験していたら、たいした手間もかけずに生まれたものの権利を必要以上に叫ぶことの恥ずかしさを知っているように思えるから。そもそも、自分の作ったものを「作品」と呼び、それが立派なものであることを自分で主張する、その恥ずかしさといったら! 想像しただけで、僕なんぞは赤面してしまう。
手間をかけて生み出した作品を保護することは大切だ。けれど、それほどたいした手間もかけずに生まれたものについては、もっと寛容になれないだろうか。——権利、権利、権利! この世は、ありとあらゆる権利で満ちあふれている。あまりに多くの権利ばかりが主張されるあまり、大切な、絶対的に保護されなければならない権利も、とるにたらない権利も、区別がつかなくなっている。そういう混乱した世界が僕には見えるような気がするのだ。
自分の抱きしめている、ちっぽけな権利を放棄することで初めて気づく世界もある。あなた一人だけが主張する自分だけの権利に対して寛容な気持ちになった時、初めて得られるものもある。そういう世界があることも、たまには考えてみてはいかが?
公開日: 土
- 7月 24, 2004 at 11:11 午前